こんにちは。
今回ご紹介しますのは、「戦国時代通説のウソ」より「茶の湯の由来」につきまして。
このシリーズ、結構買ってしまうのですよね。

面白いのと、記憶に残りやすいので良いと思いますが。
ただ、この「茶の湯」=「キリスト教」由来説はちょっとビックリしすぎました。
冗談でしょ?と思いましたけど、たしかに本書を読むと、さもありなむと思う気も出てきました。
まずは「千利休」から。
堺の商家に生まれる。(本名は田中。)
織田信長が堺を直轄地にする過程で今井宗久(鉄砲を調達)らとともに茶人として仕える。
秀吉にも仕え、名声を得るが、70歳の時に切腹を命じられる。真相は不明。
武野紹鴎に師事。「侘茶」を大成。
この、「千利休」が堺のミサに出入りしていたというのです(事実)。
なるほど、千利休は堺の出身で、当時、堺にはキリシタンも京都での戦乱を避けて訪れていたことだから接点があってもおかしくない。
それだけではありません。
茶道における「回しのみ」はキリシタンが「回しのみ」するワインから着想を得て、
さらに飲んだ後に口を拭くのも同じくミサから着想を得ているのではないか、と言うのです。
また、ミサではパンをまわすのですが、茶の湯では代わりに、菓子を回すとも。
うーん、これだけなら偶然と思うかも知れません。
しかし、利休の弟子にはキリシタン大名や武将がやたら多いのです。
「利休七哲」と呼ばれた7人のうち高山右近、牧村兵部、蒲生氏郷はキリシタン大名、
さらに、古田織部、細川忠興もキリスト教との関係があったとも言われております。
そして、茶室の入り口が狭いのは、「狭き門より入るべし」というキリストの教えではないか、とも!
しかし、千利休が茶の湯をミサから着想を得たという証拠は今のところありません。
試験的にはとりあえず「王道」を学んでおきましょう。
村田珠光(1423~1502:しゅこう)…侘茶の創出。禅がスタート。一休さんの弟子でもある。
↓
十四屋宗伍
↓
武野紹鴎(1502~1555:たけのじょうおう)…さらに簡素化。
↓
千利休(1522~1591)…大成させる。
<むらのたんぼに たけのこ 千本>
村田ー武野ー千(田中)
という覚え方もあるよう。【コチラ】
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