~只今、全面改訂中~

こんにちは。

今回ご紹介しますのは、日経ビジネス人文庫の「60分で名著快読シリーズ」より、『徒然草』です。

中学校の古文で習ったという人も多いのではないでしょうか。

日本三大随筆の1つ!

さて、日本三大随筆とは、

「枕草子」(清少納言)

「方丈記」(鴨長明)

「徒然草」(兼好法師)

の3つです。

どれも聞いたことある名前ですね。

「方丈記」と「徒然草」、どっちが先?と迷うかも知れませんが、

「徒然草」は1330年くらい、「方丈記」は1212年くらいですので、「方丈記」の方が約100年先、と覚えておいて下さい。

【冒頭部分も覚えましょう】

「枕草子」…春は、あけぼの。 やうやう白くなりゆく、山ぎは少し明りて、紫だちたる雲の細くたなびきたる。

「方丈記」…行く川のながれは絶えずして、しかも本の水にあらず。よどみに浮ぶうたかたは、かつ消えかつ結びて久しくとゞまることなし。

「徒然草」…つれづれなるままに、日暮らし、すずりにむかひて、心にうつりゆくよしなしごとを、そこはかとなく書きつくれば、あやしうこそものぐるほしけれ

「吉田兼好」は間違い?

作者は、「枕草子」は「清少納言」、「方丈記」は「鴨長明」ですね。

「徒然草」は「吉田兼好」と記載されているものを見かけますが、

正しくは、「兼好」、あるいは「兼好法師」だそうです。

吉田神道の提唱者、吉田兼倶(1435-1511)が自分の権威付けのために兼好法師を「吉田兼好」にしてしまったんですよ。

年表:兼好の生きた時代

兼好の生きた時代は鎌倉時代の終わりから南北朝時代までの実に不安定な時代でした。

「よろづのことは頼むべからず(何事も当てにしてはいけない)」という内容を何度も書いているのは、この時代の影響があると思われます。

以下、略年表です。

1283兼好、この頃誕生。

※北条時宗が執権。1274年に文永の役、1281年に弘安の役がありました。
※阿仏尼が相続訴訟に鎌倉へ下向したのが1280年で、この時の日記が「十六夜(いざよい)日記」です。
1285霜月騒動

安達泰盛一族滅亡。
1297永仁の徳政令
1307兼好、この頃、金沢貞顕(~1309年まで六波羅探題南方)に仕えた説

※金沢貞顕…金沢文庫で有名な金沢實時の孫。北条高時出家後、執権となる(1326)が間もなく辞退、出家。
1321後醍醐天皇の親政開始
1324正中の変

※クーデターの疑いで後醍醐天皇側近の日野資朝佐渡配流(1332年殺害)
※日野資朝…高齢の高僧を見た西園寺実衡に対して、「ただ年をとっているだけですよ」と発言し、後日、老犬をプレゼント。「ありがたそうに見えるでしょ」と。(152段)
1330この頃、徒然草成立?

※1337年頃という説もあり
※徒然草は30歳頃、50歳頃の2期に渡って書かれた
※歌人としての地位も徐々に確立
1333足利尊氏、六波羅探題攻め滅ぼす
新田義貞により鎌倉幕府滅亡、北条高時、貞顕ら自刃。
1335足利尊氏と後醍醐天皇が対立
1338足利尊氏、征夷大将軍となる
1341「太平記」に兼好が高師直の依頼で故・塩冶高貞妻へのラブレターを代筆したと書かれる
1345兼好、右大臣二条良基の歌会に出席
1349観応の擾乱

足利直義と高師直の対立
1352この頃、死去(70歳くらい)

個人的徒然草ベスト10

以下、個人的に気に入っているフレーズを並べたいと思います。

第1位:「世は定めなきこそいみじけれ。」(7段)

166段で、「人間の営みは春の日に雪で仏像を作っているようだ」と言っております。

しかし、それでも「春の日に雪で仏像を作る人間の営み自体」を否定しないのが兼好です。

人はいつかは死にます。

だから、何もかもやらないか、だからこそ、何かをやろうとするか。

兼好は後者だったと思います。

「世は定めなきこそいみじけれ(この世は無常であってこそ意味がある)の前には、「人の命が永遠ならば、ものの情緒もなかっただろうけど」と書いているように、

我々の人生は約束されたものなど何一つなく、儚く消えることもわかっておりますが、それでも「生きたらいいんだよ」と応援してくれる、実に素敵なフレーズだと思います。

第2位:「大事を思ひ立たん人は、さりがたく、心にかからんことの本意を遂げずして、さながら捨つべきなり。」(59段)

「(訳)出家を思い立った人は、捨てにくく、いつも気にかかっていることがあっても、そのことを果たさずに、そのままにして放り出すべきである。」

釈迦の出家を引き合いに出すまでもなく、これは本当に大事。

自分が決めた将来の選択を家族や上司に相談して、難色を示されたら諦めてしまう人もおりますが、

それでも選択するものこそ本物の「大事」だと思います。

自分の主人は自分でありたいと思いますよね。

第3位:「春暮れてのち夏になり、夏果てて秋の来るにはあらず。」(155段)

137段の「花は盛りに、月はくまなきをのみ、見るものかは」の方が有名かも知れませんが、僕はこっちの方が響きました。

「春が終わったら夏になり、夏が終わったら秋になるのではない」というものです。

このあと、「春はやがて夏の気を催し、夏より既に秋は通ひ(春はそのまま夏の気配を生じ、夏のうちにもう秋がしのび寄り)」と続きます。

そう、夏が終わったら秋が来るのではなく、夏の間に秋が「忍び寄る」のです。

こうした見方をすることで、季節の移ろいのタイミングを楽しむことができるようになりました。

第4位:「死期はついでを待たず。死は前よりしも来らず。かねて後ろに迫れり。」(155段)

「(訳)死は順番通りに来るわけではない。死は前からやってくるとは限らない。早くから後ろに迫っている。」

つまり、人は「死」に向かっていくのではなく、ある時、後ろから「ひょい」と引っ張られてしまうようなイメージでしょうか。

緩和医療に携わった経験がありますが、誠に同感です。

それでも、現代医学では病気になってから死ぬまでが長いですが…。

だからこそ、「存命の喜び、日々に楽しまざらんや(生きている喜びを毎日味わうように)」(93段)とエールを送ってくれております。

この2つはセットで好きです。

第5位:「銭あれども用いざらんは、全く貧者と同じ。」(217段)

217段に「大福長者(大金持ち)」が登場して、いろいろと処世訓を垂れます。

しかし、これに対して、兼好法師は「(欲望があってもかなえず、)銭があっても使わないのなら、まったく貧乏人と同じ(いったい、何を楽しみにしているのだ)」と真っ向から否定します。

僕自身も、お金は人生のうえで必要なものと考えますが、

お金を貯めることだけが人生の目的となってはいけない、と思いますね。

第6位:「よろづにいみじくとも、色好まざらん男は、いとさうざうしく」(3段)

兼好法師は、隠遁生活を送っているようなイメージがあって、色恋などには興味がないものかと思っておりましたが、そうではありません。

「容姿も才芸も文句のつけようのない男性でも、恋の趣を解さない無粋な男では、全く物足りない。」

と言っているのです。

むしろ、家庭を持つことは俗世への執着でむしろ情けない、というようなスタンスです。

「色欲は愚かだが面白い」と言われるように、若者たちにはぜひ、恋にも励んで欲しいと思います。

(もっとも男性の恋は、勝手に理想を作って勝手に幻滅する、と言われますw。)

第7位:「よろづのことは頼むべからず。」(211段)

「すべてのことは当てにしてはいけない。」

主君に寵愛されても、当てにしてはいけないし、約束をしても当てにしてはいけない、などと続きます。

兼好は189段で、「物は定めがたし。不定と心得ぬるのみ、まことにて違わず」と書いておりますが、よく人生観を表していると思います。

第8位:「過ちはやすき所になりて、必ず仕ることに候」(109段)

個人的にすごく好きな言葉であります。

木登りの名人が、危なそうなところでは何も言わず、飛び降りても大丈夫なところくらいまで降りてきた時に、「気をつけろ!」と言った理由。

「間違いは、もう大丈夫というところになって、必ず起こすものでございます。」

ほんと、油断大敵というか、仕事を含めてあらゆるものに通じるすごい言葉だと思いますね。

第9位:「勝たんと打つべからず。負けじと打つべきなり。」(110段)

すごろくの名人が言った必勝法。

「勝とうとしてはいけない。負けないように打つのだ。」

とは云うものの、やっぱりどうしても「勝たんと打って」しまうんですよね…(麻雀とか。)

自分への戒めを込めてランクイン。

第10位:「少しのことにも先達はあらまほしきことなり。」(18段)

学校でも習った仁和寺にある法師ですね。

「どんなことにも水先案内人は必要」ってことです。

…最近、NISAを始めようと思いましたが、自分の金融知識不足が原因でいろいろと二度手間、三度手間をしてしまいました。

やっぱり、「少しのことにも先達はあらまほしき」なんだと思いました。

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