~只今、全面改訂中~

第63代:冷泉天皇期(967~969年)

石ノ森章太郎「マンガ 日本の歴史」11巻より。源高明が藤原氏の謀略により排斥される安和の変を描いたシーン。

【冷泉天皇】…950~1011年。村上天皇皇子。17歳で皇位に就く。
病弱のため関白を必要とし、藤原実頼がその役を担った。

969 安和の変

※藤原実頼・師尹らが企てた他氏排斥事件。師尹らが、源満仲の密告を利用して左大臣源高明らに皇太子廃立の陰謀があるとして追放。これ以降、摂政、関白は常在

【源高明】…914~983年。醍醐天皇第10皇子であり、娘は藤原道長に嫁ぐ。光源氏のモデルの1人とも言われる。

冷泉天皇が譲位。

藤原氏血縁関係:藤原忠平の主な子孫たち

藤原忠平の息子が藤原実頼、藤原師輔、藤原師尹。

長男:藤原実頼。

養子に藤原佐理、藤原実資。息子に頼忠。

♨佐理は書道の達人、実資は「小右記」。実頼は「安和の変」以外、覚える必要はない。頼忠は関白太政大臣にはなったが、花山天皇出家でほぼ失脚。

次男:藤原師輔

子供は藤原伊尹、藤原兼道、藤原安子、藤原兼家ら

♨藤原兼家の家系から藤原道長が生まれた。兼家と兄の兼道の確執は有名。兼家と安子だけ覚えれば良い。安子から冷泉天皇(63代)、円融天皇(64代)が産まれた。兼家の子は道隆、道兼、道長たち。

五男:藤原師尹

娘:藤原芳子

♨類まれなる美貌と高い教養の持ち主で村上天皇の寵愛を受けたが、子供は病気などで成長できず、東宮になれなかった。村上天皇崩御から2ヶ月あまりで死去。「大鏡」で藤原安子(同じく村上天皇后)から壁の穴ごしに土器を投げつけられる。

それにしても、【人名地獄】…。

第64代:円融天皇期(969~984年)

石ノ森章太郎「マンガ日本の歴史」11巻より。藤原兼道(兄)と藤原兼家(弟)の争い。病床でありながら、兼道は弟にだけは位を譲りたくなかった。甥の頼忠が関白に就任し、兼家は10年間雌伏の時代が続く。

【円融天皇】…959~991年。村上天皇の第5皇子。母は藤原安子。同母兄冷泉天皇の譲位をうけ11歳で即位。

藤原氏が政治を牛耳り、在位中は藤原氏内の政権争いに翻弄された。

26歳で譲位して仏門に。

(もっとも上皇としての力は時の権力者である藤原兼家を凌いでいたとも。)

969円融天皇即位。藤原実頼が摂政となる。
970藤原実頼没。藤原師輔の息子、藤原伊尹が摂政となる。
972藤原伊尹没。弟の兼道が関白・内大臣となる。
977藤原兼道没。藤原実頼の息子、頼忠が関白になる。

※兼道と争っていた弟の兼家は失脚

(10年後、花山天皇を秘密裏に出家させて一条天皇を即位させる「出家作戦」で頼忠の政治力を削ぐ。この作戦には当時21歳の藤原道長も参加。)
984円融天皇が譲位。花山天皇が即位。

兼家は一度は失脚したが、雌伏の時期を経て花山天皇出家作戦(「寛和の変」と言うらしい)で再浮上したというのがポイント。

次章は花山天皇、一条天皇時代。