こんにちは。
今回ご紹介しますのは、「なぜ日本はイギリスの助け舟を断って国際連盟を脱退したのか」についてです。
以下、「なぜ日本人は戦争へと向かったのか』第1章「外交…世界を読み間違えた日本」などを参考にさせて頂きます。
【年表】満州事変
1931.9.18 | 柳条湖付近で南満鉄(日本が経営)の線路が爆破。(柳条湖事件) これを中国側による破壊工作とみて、関東軍は武力攻撃開始。 |
1932.1.28 | 第1次上海事変 |
1932.2.5 | 関東軍、ハルビン占領。ほぼ満州全域を支配 |
1932.3.1 | 満州国建国 |
1932.5.15 | 五一五事件 |
1932.8.25 | 内田外相の「焦土演説」 |
1932.9.15 | 日本、満州国承認 |
1932.10.2 | リットン報告書 |
1932.12.8 | 国際連盟総会開幕 |
1933.2.24 | 日本への非難動議採択 関東軍による熱河作戦 |
1933.3.27 | 日本、国際連盟から脱退通告 (日本、長城以南は攻めない。支那、満州国承認) |
1933.5.31 | 塘沽停戦協定 |
【日中首脳および国際連盟の対応】(1931年9月)
幣原喜重郎外相 | 日中間の直接交渉による問題解決を主張 |
中華民国国民政府 | 国際連盟に提訴(9/21) |
国際連盟理事会(※) | 日本に対して軍の撤兵要請を採択(9/30) |
若槻禮次郎内閣 | 国際連盟理事会の採択を受けて撤退方針を打ち出すが、それは日中直接交渉による大綱協定の取り決めを先決事項とするとしたため、即時撤兵は履行されず |
国際連盟総会 | 日本軍がなかなか満州撤兵しないので、国際連盟理事会から国際連盟総会へと場が変わった(1932年) |
※国際連盟連盟理事会とは英仏独伊日の常任理事国に9カ国の非常任理事国を加えたもの。
※リットン調査団のメンバーの1人は、
「日本は満州国承認まで行くかも知れないが、それ以上、中国本土を侵略することはないだろう。国際連盟的には死活問題ではない。」と記していました。
【国際連盟総会】(1932年12月)
アイルランド | 「日本は明白な国際条約違反である」 |
スイス | 「大国だからといって力を好きに行使してよいはずはない」 |
スペイン | 「この侵略を黙認すれば連盟の威信は地に落ちる」 |
日本(松岡洋右) | 各国からの非難は予想通り。日本の軍事行動の正当性を主張。 ※「少々連盟で悪口を言われても、連盟内にとどまってくれ」と言われており、松岡自身もそのつもりでした。 |
イギリス | 当時、失業人口の増大に悩まされており関心は国内。また、イギリス自身が世界各地に植民地をもっていたため、日本の行為の否定は自らに跳ね返る危険性があった。 「事態の収拾に失敗すれば、われわれイギリスが一番失うものが大きい。われわれの全極東政策は日本の善意に依存している。」 「われわれの政策は対日宥和。制裁などは認めない。」 「中国は自分の本分を尽くせ。連盟や英米ばかりアテにするな」 (ジョン・サイモン外相) |
フランス | 隣国ドイツの再拡大への懸念と軍縮問題のため、関心は国内。 |
ドイツ | 莫大な戦後賠償と債務、財政危機のため、関心は国内 |
日本 | 「国際連盟というものは言論でワーワー騒ぐのであって、力をもってやって来るというようなことはない」(鈴木貞一陸軍省幹部)…と楽観視。 「国を焦土としても満州国承認は揺るがない!!!」(内田康哉外相)…「焦土外交」 このままだと日本が孤立する…イギリス案に妥協すべきと思うが…(松岡洋右代表) 「満州こそフロンティアだ!」と満州国誕生に沸く。併合するのが良いとする過激な意見も。(国内世論) |
イギリスをはじめとする列強各国は、欧州における「公平な調停者」となりうる日本ともめることは好ましくないと考えていました。
そこで、審議4日目の夜、サイモン外相は日本代表団に秘密裏に妥協案を提示しました。
内容はリットン報告書に基づき日本に実をとらせるものでした。
(「リットン報告書」では満州の特殊性についても触れており、日本なくして満州の発展はなかったと日本に配慮しております。宗主権は中国としておりますが、現地経営を国際管理とし、日本人顧問の起用も盛り込んでいることなどから日本が実質を握ることを容認しているものでした。)
※「調査報告書は“和解の書”と呼ばれている。既に起きたことを元に戻せとは言っていない。リットン調査団員は日本に好意的な人が選ばれており、メンバーは朝鮮人独立運動家などにより暗殺計画もあった。」
※満州事変における日本側の反論を書いたのはイギリス人らしい。【コチラも:wiki】
しかし、日本は満州国誕生に沸く国内世論を背景に、イギリスの妥協案を避けてしまいます。
強引すぎるでしょ…。
【熱河作戦と場当たり的な国際連盟脱退】(1933年2月)
関東軍 | 満州国防衛の為に現地駐留を続けていた関東軍は境界地域である中国側の抵抗活動を危険視し、長城を超えて熱河地方へ軍事進出を独断で画策していた。 「戦をやっておるものが途中でやめると命に関わる。東京が許さんからといって見殺しにするわけにもいかないわけです」(中野良次関東軍参謀) タイミングはこっちに任せて欲しい。 |
斎藤実内閣 | 1933年1月より「長城を越えなければ」という条件で熱河作戦を認める。 長城内なら満州国内の治安出動ということになり、国際問題にはならないだろうと希望的解釈。 |
外務省 | タイミングは任せて欲しい、と言っても、国連の非難動議が出されてから熱河作戦をすると国際法的に経済制裁を受けることになってしまう… ↓ 場当たり的に「国際連盟を先に脱退すればいいじゃん!」という結論に。 (脱退した国にわざわざ経済制裁しないでしょ、という論理。) |
政府 | 関東軍に困り果てていたが、外務省の「国際連盟脱退」という奇策に飛びつく ↓ 代表団に方針転換を告げる |
松岡洋右 | え!?脱退するの?? ↓ 政府に言われて「日本は断じてこの勧告(対日勧告)の受諾を拒否する!!!」と言っちゃったけど、本音はできることなら連盟に残りたい・・・ |
1932年1月28日、上海租界の日本人居留民保護を目的に日本海軍が武力介入し、中国軍と軍事衝突をしました。(第1次上海事変:実は穏健派と思われている米内光政が主導)
この件と満州事変をあわせて、中国国民政府は国際連盟に規約第15条(連盟理事会の紛争審査を提訴)を訴えました。
この規約15条には続く16条に関連条項があり、「15条による約束を無視して戦争に訴えたる連盟国は当然、他のすべての連盟国に対し戦争行為をなしたるものとみなす」とあります。
そのため、対日勧告と熱河作戦が重なると16条適用により日本が経済制裁を受ける可能性が出てくるのでした。
資源のない日本が貿易停止されると大ダメージを伴います。
(※ちなみに第1次世界大戦でドイツが破れた原因の1つも経済制裁。)
そのため、「国連脱退」という奇策に飛びついてしまったわけです。
【政府はどう対応していたのか】
もっとも、政治家も無策だったわけではありません。
安達謙蔵内相は政友会と手を組んででも強い政府として満州事変に当たろうとしておりました【コチラ】。
(しかし、この方針が良いのかどうかは不明。単独内閣で対応可能すべきと考えた幣原喜重郎、井上準之助を「憲政の常道」を守ったとして評価される点も【コチラ】。)
♨「日本という国に、日本という国と陸軍という国2つがあって、うまくいくはずがない」とは大戦前の阿部信行首相の言ですが、この言葉がもっともしっくり来るような気がしますね…。
それも含め、日本はすべて「内向きの論理」によりこと進めた点が誤りとも。
組織でも「内向きの論理」でしか物事を考えない組織は凋落しますよね…
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