~只今、全面改訂中~

☞【幕末年表⑰:1866年・下半期】『神君・家康公の再来か?』

(※3)孝明天皇、崩御!

この年の12月に孝明天皇が急死したことは、天皇が強固な攘夷主義者ではあったが公武合体論者でもあったので、幕府にとっては大きな痛手となった。

「詳説日本史研究」p326
孝明天皇
私、満35歳ですよ。

死因は天然痘、って言われています。

佐賀藩とか佐倉藩とかはワクチン接種に積極的だったのですが、朝廷ではそんなんしないでしょ。

ちなみに、現在、唯一根絶できたパンデミックは天然痘なんですね。

慶喜
これからという時に…

なんという最悪なタイミング…

伊藤博文
あまりのタイミングの悪さに、後世になって私が暗殺したんじゃないかとか、

私は実は忍者なんじゃないか、とか言われてしまっております…

岩倉具視
同じく…。蟄居中の私が内部のものと通じて毒殺したとか…。

人相の悪さと関係ないですよね…。

小松帯刀
ただ、この時点でまだ表向き薩摩藩と幕府は決して敵対していたわけではなかったのですよね…
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