その日の夜、京都御所の小御所で三職による小御所会議が開かれて徳川氏の処分が議論され、岩倉具視・大久保利通らの武力倒幕派が松平慶永・山内豊信らの公議政体派を圧倒し、徳川慶喜に内大臣の辞退と領地の返上(辞官納地)を命じることを決定した。
「詳説日本史研究」p327
お主ら、幼帝をかついで権力をわがものにしようとしているだけだろう!
幼帝とはなにごとじゃ!
天皇陛下に失礼だ!
何をもめているでごわすか?
そんなの短刀一本あれば十分じゃないでごわすか?
ひぃーーっ。
ホントに殺る気だな。
ちょっと西郷どんは強引すぎないか?
譜代大名の中には、徳川直臣の旗本になろうという動きもありました。
そうなると日本の土地の結構広い範囲が徳川家のものになりますね。
新政府は、そんな私の土地を取り上げようというのでしょう。
しかし、そんなことしたら幕臣たちとの間に全面戦争になるではないか。
ここはいったん大阪城に引き揚げよう。
取り上げるも何も、日本の土地はすべて天皇のものですよ。
いや、徳川家個人の資産ですよ。
近代法を理解されていないのでは?
あんたの好きな「日本外史」には、「源氏は王土をぬすみ、足利は王土をうばった」って書いてあるではないか?
当時、イギリス軍が680名、フランス軍が879名。
横浜の開港場を見下ろす本牧に駐屯していました。
もっとも表向きは内政干渉なんてしませんよ。
えっと、西郷さんが「短刀一本で…」と言ったのはフィクションですね。
「短刀一本」ではなく、「薩摩藩兵の武力で」くらいのつもりのことは言ったかも知れませんが。