こんにちは。
今回ご紹介しますのは、「幕末年表㉕:1868年3月」です。
この月はいろんなことが目白押しでした。
相楽総三を「偽官軍」として切り捨てたことを皮切りに、
甲陽鎮撫隊と迅衝隊の戦い、
そして何より江戸城無血開城の決定。
朝廷に目を向けると「五箇条の御誓文」と「五榜の掲示」が提示されたのもこの月です。
1868年(慶応4年)3月
3/3 | 赤報隊の相楽総三、「偽官軍」として処刑(※1) |
3/5 | 有栖川宮、駿府に入る |
3/6 | 江戸城総攻撃が15日に決定 近藤勇率いる甲陽鎮撫隊、敗戦(※2) |
3/9 | 山岡鉄舟、駿府で西郷と対面(※3) |
3/13 | 西郷と勝海舟、第1回会談。 神仏分離令 |
3/14 | 西郷と勝海舟、第2回会談。「無血開城」の和議成立。(※4) ※西郷、徳川からの嘆願書を受け取り、江戸城総攻撃を延期 ※西郷はパークスから貿易の邪魔をするなと釘を刺されていた ※海舟は江戸焦土作戦を考えていた? 五箇条の御誓文(※5) |
3/15 | 江戸城総攻撃中止 五榜の掲示(※6) |
3/20 | 二条城で緊急会議 ※徳川慶喜の死を免ずることが決定 |
3/27 | 勝海舟、パークスのいる横浜の領事館へ |
3/28 | パークスが西郷を呼び寄せる(※7) ※「慶喜を殺したら評判が悪くなるぞ」とさらに釘を刺す |
(※1)赤報隊:相楽総三の悲劇!
3月3日、赤報隊隊長:相楽総三が処刑されました。
罪状は「偽官軍を名乗った」ことです。
彼の一番の功績は江戸で乱暴狼藉を働いて、幕府方が怒って江戸の薩摩藩邸を焼いたことでしょうね。
これで開戦の口実ができた。
あ、なにかの役に立てないかと一時、私が密かに匿っていました。
あれは相楽総三の手柄でごわしたな。ハッハッハ。
その後は年貢半減を吹聴しておったな。ハッハッハ。
ただ、彼は東国の人間なんでごわすなー。ハッハッハ。
年貢半減を吹聴していたものの、財閥がそれでは困る、と新政府に言ったことで、邪魔者になってしまったんですなー。
詳説日本史研究にも載ってます!
【相楽総三と「偽官軍」】
「詳説日本史研究」p330
江戸出身の尊攘派志士相楽総三(1839-68)は、西郷隆盛の指示により、赤報隊を結成して戊辰戦争に際し新政府軍の先鋒となって活躍した。相楽は旧幕領のの年貢半減を建白して新政府に認められたとして、年貢半減を旗印に進軍し、民衆の「世直し」機運を高めた。しかし、財政難に苦しむ新政府はこれを勝手に行ったものとして否定し1868年3月、相楽一派は「偽官軍」として処刑され、赤報隊も解散させられた。