~只今、全面改訂中~

☞【日本人に国民宗教はあるか?】『世界を動かす「宗教」と「思想」が2時間でわかる』(蔭山克秀、2016年、青春新書)【後編】

「七五三」、「成人式」などの行事や、「バチがあたる」なんていう表現は、完全に神道由来。本来、神道は実に自然な形で日本人の生活に根付いてきたものであるが、これが「国家神道」に利用されたことでおかしくなったと思う。

前編はコチラ】。

以下、読書メモ。

6.寛容の思想「イスラム教」は、なぜ戦いの道具にされるのか?-世界を混乱に導くという誤解が生まれたわけー

イスラムには哲学がない。あるのはイスラム教だけだ。イスラム教は信仰であるとともに「法体系」でもあるからだ。

代表的なのが「六信」、「五行」。

五行の1つである「喜捨」とは「貧者への施し」で、これのせいでイスラムでは物乞いも態度がでかい。また「利子は違法」「火葬は厳禁」など細かいルールがある。また、キリスト教と違って、「原罪」の概念はない。

クルアーンには殺人を禁止しているのになぜ、イスラム諸国はテロや紛争ばかりおこしているのかというと、「外から押し寄せる不義」に対する聖戦はOKという解釈をした法学者による。

1948年、イスラエル建国翌日から中東戦争は勃発し、そして今も続いていると見て良いのだが、なんでイスラエルがこんなに強いのかと言うとひとえに600万人とも言われる在アメリカユダヤ人によるところが多い。(ちなみにイスラエル人口は約800万人)

1979年、イラン革命により親米派パーレビ国王政権が転覆し、シーア派のホメイニ師が最高指導者に。そこで米国からの援助およびシーア派の普及抑制を目論んでサダム=フセインが戦争を仕掛けた。イランイラク戦争で金欠となったためクウェートの油田をつぶして石油の値段を吊り上げようとしたところ、さすがに調子に乗りすぎだと制裁された。

1992年、アフガニスタンで親ソ政権が崩壊し、米国が支援していた反政府ゲリラ「ムジャヒディン」政権が樹立。それに対する武装グループが「タリバン」で、1996年にタリバン政権が樹立された。その後、資金難から国際テロ組織、ビンラディン率いる「アルカイダ」を匿い、2001年のテロ事件につながった。その余波で2003年イラク戦争、2006年、フセイン処刑。

2010年、チュニジアで起きたジャスミン革命を皮切りに、エジプト、リビアへも革命が波及。「アラブの春」と呼ばれる。 イラクに潜伏していたアルカイダ系組織はフセイン後のシーア派政権に反旗。イラク内で「イラクのイスラム国」を名乗り国家独立宣言。シリア内戦にも乗じ、「イラクとシリアのイスラム国」になり、2014年、「IS」建国宣言。ただ、教義の独自解釈のため、他国イスラム諸国とは敵対している。

【ISの理屈】

  1. イスラム教は「戦う宗教」。異教徒との戦いの肯定。
  2. 奴隷制の肯定。女性は身体を提供することでジハードに参加していることと同義。
  3. 偶像崇拝禁止→泥棒して売りさばく。
  4. 公開処刑の肯定
  5. 戦闘員の公募

実は世界で最もイスラム教徒が多い国はインドネシアで人口2億3000万人のうち、2億人がイスラム教徒。本当はイスラム教は平和のための宗教であることを忘れてはならず、政治がらみで宗教が利用されている面を否定できない。

7.日中韓「儒教」国家三兄弟の違いと共通点ー「お上にとって都合のいい思想」は今どこまで残っているかー

儒教は宗教と言うよりも道徳である。

現世を生きるための世俗的な倫理を説いている。その道徳は「天」を中心に語られる。

儒教が求めるものは「天」が求めるような徳の高い為政者で、このような君子による徳治政治の実現を目標としている。

孔子は儒教を開いたわけではなく、周公旦の徳治政治を戦国時代に復活させようとした。孔子の儒教とは親子愛(孝)と兄弟愛(悌)に求めており、タテ型の社会秩序を君子が自らの徳で治めることを理想としている。

平等を掲げるキリスト教やイスラム教とはこの点で大きく異なる。為政者にとっては上下の序列を重んじるため、都合の良い側面があり、利用される。

【日本】

江戸時代までは仏教の方が主流であったが、江戸時代では死後の世界よりも現世ご利益に興味が持たれ、儒教が盛んに。その後、西欧化を経て、国粋主義に戻り、軍国主義に「この天皇を主君として~」という形で利用される。

【中国】

順番的には儒教→仏教→道教であるが、全体としては儒教が中心。しかし、社会主義となってからは最初から水と油。文化大革命で徹底的に糾弾された。21世紀に入って最近はようやく見直されている。

【韓国】

14世紀の高麗国までは仏教だが、その後は儒教。さらにマナーは厳しく日本の比ではない。しかし、最も多いのが実はキリスト教で30%。しかし、独自の路線をとっており、ごちゃごちゃである。ちなみに彼らは日本=サタンと教わっている。

【仏教】

仏教は「苦の原因とその解消法」であるため、平和な時代にバリバリ稼ごうとする先進国には合わない。(?)

ブッダ死後は各宗派に別れており、極楽浄土なんていう思想は後から来たものである。(平安時代)

仏教発祥の地、インドでもヒンドゥー教が多数で、3500年も続くカースト制度は簡単にはなくならない。IT産業はあらゆるカーストから参入可能なので、発展している

8.「社会主義」が見た資本主義の「恐ろしさ」とはー平等を目指した挑戦がなぜ「独裁国家」を生んでしまったのか

【個人崇拝】

「革命のリーダー=カリスマ」という点、「民主集中制」と言う点、そして、「もともと独裁者になりたい人が方便として社会主義を利用しただけだから」、と言う点で陥りやすい。

【思想改造】

資本家を殲滅し、労働者「だけ」に 【抑圧的な空気】勝ち組の自由を制限

【密告・監視国家の形成】

不満因子を粛清。自由を抑え込む限りこのやり方はされる。

【全体主義】

個人の自由や権利は認めず、すべてを国家の統制下に置こうとする

【社会主義と共産主義の違い】

…社会主義は、「労働者が資本家の搾取に対して革命を起こして勝った状態」で、

共産主義は「さらに階級区分の必要性がないところまで来て、国家がなくなった状態」=つまり「共産主義国家」という概念はおかしい

【ソ連】

1917年ロシア革命
→1924年レーニン死去、スターリンとトロツキーの権力争いとなり、スターリンが勝利。

1953年スターリン死去、
1956年、フルシチョフ政権。スターリン批判(→中ソ対立)、反ソ暴動の弾圧(ハンガリー、ポーランド)、キューバ危機、核開発。

1964年-82年、ブレジネフ政権。停滞の時代。→→ゴルバチョフ時代に。
1989年ベルリンの壁崩壊。

【中国】

国共内戦を経て、1949年中華人民共和国建国。

毛沢東は革命の天才ではあったが、国造りはへたくそ。

1958年「大躍進政策」(農民が鉄屑を拾う…)、「人民公社」(男が鉄屑を拾っている間に女が人民公社で農作業、ただ、最寄りの人民公社がとんでもなく遠くて利便性が悪い…)→餓死者続出。

1966年「文化大革命」→内戦に近い状態に、1976年毛沢東死去で終結。

その後の鄧小平、江沢民時代で経済発展。今は「ほぼ資本主義の社会主義国家」に。

【北朝鮮】

1950年~53年、朝鮮戦争勃発。スターリン死後は「主体思想」という独特なものに。社会主義でありながら、権力の世襲を行っている。

9.「やわらかな神道」は日本をいかに導いてきたかー日本誕生から神仏習合、明治維新、そして太平洋戦争までー

はるか大昔から貫いているのは「神道」。古事記、日本書紀に出てくる神々、その他、八百万の神々が信仰対象で、教義も経典も教祖もない、「ゆるい」宗教である。【経典もないし、宗教ではないという意見も。

その後も、神道のオリジナリティを守るより、時代の流行りをどんどん取り入れたものにしようという方向に、柔軟に対応している。つかみどころがないといえばないが。

【奈良時代】

古事記は天武天皇の雑用係、稗田阿礼の書いたおおらかな表現のもの、日本書紀は漢語調。アミニズム、多神教が軸。清明心をよしとし、穢れを嫌い、死後の世界を美化せず現世を楽しく生きようとする。穢れは嫌うのだが、妙に楽天的であり、「禊」が済めばOK。また迷惑行為、損害も「はらい」でOK。大らかで根に持たず、のびやかである。

神道はただ「神話」があるのみで、行間を読んで解釈していく。宗教と言うよりも生活講座である

【平安時代】

避けて通れないのが、本地垂迹説。神と仏は同じもので、仏が真の姿で神は仮の姿。当時は仏教優勢であったからではあるが、すんなり受け入れられる

【鎌倉時代】

今度は「反本地垂迹説」として、伊勢神道が生まれる。

【江戸時代】

儒教と混ざり、「儒家神道」。後半は「国学」がおこり、本居宣長→平田篤胤、「復古神道」という純粋な「ガチ神道」ができ、のちの皇国史観、国粋主義につながる。

【明治から】

なんと、キリスト教とも融合したが、この時代では天孫の位置に来るのが天皇であったため、主流とはならず。天皇主権を支えるために「国家神道」が生まれた。討幕運動で利用

さらに「神仏分離令」で多くの寺院・仏像が破壊された。戦時中、ますます天皇は神格化されていくが、これは「アラーは偉大なり」と言って自爆テロするイスラム教徒と変わりはない。

終戦後はGHQにより「神道指令」が出て、国家神道は廃止された。

【神道の考え方】

神道はとらえどころがなく、ころころ変わるが、これは救済などという仰々しいものではなく、生活リズムに安定を与えるものであるために認識されにくいが「宗教」であると思う。

「ブレ」こそ基本姿勢である。確信めいた強烈さはないが、心に沁み込んでいる。

日常生活でお浄めを行い、夏や秋にはお祭りをし、祖先の霊を敬い、七五三を行い、成人式も行う。神道の宗教的行事は日常生活にしみこんでいる。

「あって当たり前、ないと困る」無自覚ながら、ちゃんと国民的宗教は有るのだ。

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