~「もう一つ上の日本史」出版に伴い、勉強方法も変える必要が出たので、全面改訂突入します~

【試験に役立ちそうなポイント】

★平安時代における東北地方の関連年表(下記)をチェック。802年、アテルイは降伏、坂上田村麻呂は助命を請う。助命は叶わずアテルイは処刑。

♨「もしも、坂上田村麻呂とアテルイが組んで東北政権を樹立していたら…という発想は面白い。

★東北支配の拠点基地の変遷は頻出。(下記)

清水寺

まず、感想から言うと、非常に良かった。

まわりの店が豊富だし、ちょっとここだけ別世界のような雰囲気であった。

 

(↑写真↑)いわゆる、「清水の舞台から飛び降りる」の清水の舞台。

さて、問題。

清水寺は誰が建てたでしょう?

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ヒント

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そう、正解は、「坂上田村麻呂」!

その独特な名前から知っている人は多いだろう。ちなみに初代征夷大将軍は彼ではなく、大伴男麻呂(731-809)であり、教科書に出てくる紀古佐美(733-797)は「征東将軍」の地位。

略年表

780 伊治公呰麻呂の乱。
781 桓武天皇即位。母親は高野新笠という百済人。(この話は平成天皇も触れ話題に)
784 長岡京遷都。藤原種継暗殺事件→【この本がわかりやすい】と早良親王流罪の件など。真の首謀者は大伴家持。令和で一躍脚光を浴びた大伴旅人の息子である。
788 紀古佐美、征東将軍として蝦夷へ。
789 紀古佐美、阿弖流為(アテルイ)の反撃を受ける。桓武天皇に兵站の困難さを訴える。
794 大伴男麻呂、一度は断ったものの、征夷大将軍として蝦夷へ。副将軍、坂上田村麻呂が活躍。平安京遷都。
797 坂上田村麻呂が征夷大将軍に。
802 胆沢城(いさわじょう)築く。阿弖流為が降伏。田村麻呂は助命を願うが、阿弖流為は処刑されてしまう。
803 志波城(しわじょう)築く。→城の名前とか順番を全部覚えないといけないので【この本をオススメ】。
805 徳政論争。藤原緒継vs菅野真道。緒継「今天下の苦しむ所は、軍事と造作なり」→蝦夷征討と平安京建設一時中止に。藤原緒継は光仁天皇(桓武の父)擁立に一躍買った藤原百川の長男。
806 桓武天皇死去。69-70歳。平城天皇へ。

※平城京からの遷都は南海大地震が原因(2018/07/13news:奈文研の調査)というのは本当だろうか?地震で遷都、ってあり得る話ではあるが。

※桓武天皇の時代、親王は2人の女性しかいなかったが、桓武はなんと32人の子だくさん。しかし、こんなに多いとそりゃ弊害となるであろう。親王たちは特権階級を良いことに地方での簒奪に走る。【桃崎有一郎『武士の起源を解きあかす』

※よく間違えるところではあるが、勘解由使は桓武天皇、検非違使は嵯峨天皇のとき。健児の制(軍団制を廃止し、志願兵制に。郡司の子弟などが選ばれた。)は桓武。【令外官一覧

阿弖流為の助命が叶わず、坂上田村麻呂も無念であったであろう。

『消えた蝦夷たちの謎』(関裕二、2010年、ポプラ社)はちょっと面白かった。田村麻呂も東漢氏の出で、蘇我氏と関係で藤原氏にとっては油断できない相手と。もし、阿弖流為と田村麻呂が協力して東北政権を樹立していたら…というのは面白い。

また、蝦夷はフロンティアであり、移り住んできた人からなるという説も興味深い。蘇我氏、安倍氏、大伴氏といった面々は共に東北の代弁者であり、藤原不比等が日本書紀で蝦夷のことを散々に書いているのはこれも影響している、と。

ちなみに藤原不比等の全盛期から東北遠征が開始。「奈良時代の東北」とか、って日本史的にはほとんど出てこないけど、ここはちょっと知りたいところではある。

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東北経営の基地の変遷

647年 渟足柵 (ぬたりのさく)孝徳朝
648年磐舟柵(いわふねさく)孝徳朝
708年出羽柵元明朝
724年多賀城聖武朝
733年秋田城聖武朝
802年胆沢城(いさわじょう)桓武朝
803年志波城(しわじょう)桓武朝

石黒先生「日本史出るとこ攻略法」では

ぬ い で たが(やせ) 秋の田を いざ、 し(あ)わ(せ)

というもの。

★蝦夷と新羅が結ぶと厄介だったので遠征したという話も。

★780年の 伊治公呰麻呂の乱 では一時期、多賀城が落とされる。

★藤原家の隆盛と東北征伐がリンクしているという説も。聖武天皇は即位してすぐに多賀城をつくっているし。これは古代より続く藤原家と大伴氏の争いによるもの?