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☞【天武天皇の対外政策は?】『飛鳥・藤原の時代と東アジア』(古代史講義4-2)

こんにちは。

今回ご紹介しますのは、「古代史講義(ちくま新書)」より「飛鳥・藤原の時代と東アジア」、後編です。

前編はコチラ

白村江で大敗を喫した後、天智天皇は防備を固めます。

一方、大陸では唐と新羅が仲違いを始めます。

そうこうしているうちに国内では天智天皇死去。

大海人皇子と大友皇子による壬申の乱が起こります。

667年
近江大津宮へ遷都


668年
天智天皇即位
高句麗滅亡後、唐と新羅が抗争開始


670年
庚午年籍

 


671年
大友王が太政大臣に(後継者としての位置づけ)
天智天皇没


672年
壬申の乱
天武天皇による改革


681年
律令編纂開始(→689年、飛鳥浄御原令)


684年
八色の姓


686年
天武天皇没(→持統天皇)


689年
草壁皇子没(→持統天皇正式に即位)


690年
庚寅年籍


696年
高市皇子没(→持統天皇は孫の軽皇子を皇太子とした)


697年
持統天皇譲位(→文武天皇)


701年
大宝律令


702年
遣唐使再開


710年
平城京遷都

大津宮

★大津宮は外国に攻め込まれたとしても琵琶湖の水運を利用しやすいことから選ばれたと考えられます。

唐と新羅の抗争

★高句麗滅亡後、唐と新羅は仲違い。天智天皇はどちらに付くか明確には示しませんでした。

庚午年籍

★軍事的危機が生じたときに兵士の動員などを強めるために必要でした。

大友王が太政大臣に

★それにより天智天皇弟である大海人皇子は立場が微妙となりました。

壬申の乱

★王族内部にとどまらず、多くの氏族を巻き込んだ大きな内乱となりました。

★大海人皇子は天智天皇の改革に反対する勢力を取り込むことができました。

★もっとも大海人皇子が行ったことは、天智天皇よりも中央集権的要素を強めるものでした

★壬申の乱の勝利者である天武天皇は、唐に服属しないことを明確に打ち出した。遣唐使も休止となった。超日本史:コチラも

古代史講義戦乱篇/壬申の乱はコチラ

八色の姓

★王族出自の氏族の姓として設定した「真人」を筆頭に、氏族の秩序を再編成した。
(つまり、たとえば大伴氏の中でも貴族になる人とそうでない人を分け、貴族層を選別した。)

★混同されがちで有るが、「飛鳥浄御原令」と「八色の姓」は別物。

遣唐使再開

★この時、初めて国号として「日本」を用いた。

高句麗遺民が反乱を起こした絶妙なタイミングで遣唐使再開しましたね。
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