~只今、全面改訂中~

☞【永田の前に永田なし】『§1-2a.エリート教育システムの欠陥』(永田鉄山)

こんにちは。

今回ご紹介しますのは、「永田鉄山」です。

陸軍において「永田の前に永田なし、永田の後に永田なし」と言われるほどの才能を見せた永田鉄山とはどんな人物だったのでしょうか。

昭和陸海軍の失敗』(2007年、座談会)などを参考にさせて頂きました。

【永田鉄山】

★優秀であったが、統制派と皇道派の争いにより早死に

対中強硬政策を唱えた。

★第2次大戦は総力戦になると考えて「中国の資源獲得」を目指した

以下、年表とメモ。

【年表】永田鉄山(1884~1935)

1884 長野県にて出生。医者の三男。
1904 陸軍士官学校を首席で卒業。(16期)(※1)
1911 陸大を2番の成績で卒業。(23期)

※首席は梅津美治郎。
1913 ドイツ駐在。第1次世界大戦を視察。(※2)
1921 バーデンバーデンの密約 (※3)
1929 二葉会と木曜会が合流、一夕会が誕生。その中心的人物となる。
1931 満州事変を中央から後押し。
1933 反長州閥の代表として荒木貞夫を陸相になるように工作するが、荒木の陸相就任後は外交政策などをめぐって、同期の小畑とも対立。統制派と皇道派の争いにつながる。(※5)
1934 軍務局長になる。

『国防の本義と其強化の提唱』という「陸軍パンフレット」を出版。総力戦体制を掲げる。
1935 相沢事件。

皇道派は問題が多数。永田は皇道派の追い落としを図り、陸軍士官学校事件から真崎甚三郎が更迭。これを永田のせいと考えた相沢三郎により永田殺害。永田51歳。

(※1)陸軍士官学校を首席で卒業

あまりにも優秀であったために、試験前に課目外であった中国語を勉強するという伝説も。

同期に小畑敏四郎、岡村寧次ら。

しかも、クソ真面目というタイプではない。読書家。

(※2)第1次世界大戦を視察、総力戦を意識する。

当時、欧州に赴任していたため、第1次世界大戦を視察します。

次の大戦は「総力戦」になると見切りました。

この時の論文が宇垣一成の目に留まります。

(※3)バーデンバーデンの誓い

三国志で言うところの「桃園の誓い」でしょうか。

同期の岡村寧次、小畑敏四郎、そして浪人したため同学年でありながら浪人したため一学年下となった東条英機と「閥族打破」、「総動員体制の確立」を誓います。

(※4)一夕会の中心人物に。

コチラも。永田鉄山、石原莞爾など一夕会は錚々たる顔ぶれ。

(※5)小畑敏四郎ら皇道派と外交政策をめぐって対立

小畑ら皇道派は「対ソ」強硬、永田ら統制派は「対中」強硬でした

ともに「反宇垣派」としながらも、「皇道派」と「統制派」と対立が生じた原因は荒木貞夫陸相の露骨な人事と対外政策の違いにありました。

小畑と永田、対外政策の違い

  小畑敏四郎(皇道派) 永田鉄山(統制派)
出身母体 土佐系 なし
ソ連戦略 ソ連は国力回復したらすぐに攻めてくるであろうから先制攻撃して極東部隊を壊滅させる ソ連はいずれ敵となるだろうがしばらくは攻めてこないであろうから満州国発展が先決
日ソ不可侵条約への対応(※1) 否定的 積極的
北満鉄道への対応(※2) いずれ手に入れるので、買収すれば資金援助につながるので反対 日本と満州で買収すべき
中国戦略 排日運動は米英が日本の極東政策を認めるまで減ることはないだろうから、米英との関係を重視し、貿易していく。 排日運動には断固とした態度で臨む。対ソ戦は国運を賭する大戦争となるが、中国はそのための「資源確保」。
対米政策(※3) 日本の大陸政策に干渉するのであれば排撃すべしと考えたが、基本的には国交親善。   米の経済力による極東支配は排撃すべき。米はアジアに死活的利害を持たないため戦争にはならず、政治的に解決可能であろう。
対英政策 紛争の圏外に置くべし 紛争の圏外に置くべし
小畑の主張にも一理あると思うのですが・・・

(※1)1932年、ソ連から再提議→結局、謝絶

(※2)東支鉄道:1933年、ソ連から売却案→1935年に妥結

(※3)1936年はロンドン・ワシントン条約の改定時期であるが、海軍は日米必戦論に立つ加藤寛治ら艦隊派がすでに両条約の廃棄を決定していた。

(※6)陸軍パンフレット

荒木が陸相辞任後、林銑十郎が陸相となり、永田が軍務局長に抜擢されます。

この時につくった、「陸軍パンフレット」とは、いわば、陸軍の「マニフェスト」です。

国内問題、国外問題に迅速に対応できない政党の代わりに、「政策を独占」することになりました。

(現在に例えれば、コロナ禍に後手に回る政府に業を煮やして自衛隊が政策を掲げるようなイメージでしょうか。)

(※7)相沢事件

コチラを。(↓)

永田が軍務局長となって実質的にリーダーとして活動していた期間は1年半と短い。

率直な感想としましては、「すごい天才」と言われていますが、トップとして活動していた期間が1年半とあまりに短い点です。

これも「派閥争い」が原因というのが残念な点ではありますが。

しかし、もし(歴史ではこういう表現は禁忌ですが)永田鉄山が長生きしていたとしたら東条英機の出る幕はなく、もちろん武藤章、田中新吉らの出る幕もなく、全く変わったものになっていたことでしょう。

懸念材料は国際情勢の変化にどれくらいついていくことができたか、という点でしょうか・・・。(その点、対米協調を明らかにしている宇垣派、皇道派の方がマシな気もしたり・・・。)

【永田鉄山に対しての東条英機はコチラ】

次章は石原莞爾・武藤章編

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