「青島ビール」と「バームクーヘン」の由来が妙に頭に残った。
(※第1次世界大戦で日本が青島に出兵。ここで青島ビールとドイツ軍が残していたバームクーヘンの技術が日本に導入された。)【コチラも:イギリスは日英同盟に基づく日本の参戦を回避しようとしていた】
大正時代は15年と短いが、短いからといって軽視するのではなく、思い切って全年号何があったか覚えるくらいの気持ちで臨むと、何が「明治」で、何が「昭和」だったのかもわかる。
近代史では大正時代を得意分野にすることをオススメしたい。
大正時代を一通り知りたい人にはうってつけ。
目次
【1912年】
- 中国での抗日運動に際して朝鮮に師団の増加を陸軍が迫り西園寺内閣が拒否。最終的に総辞職。
- 平塚らいてうが読売新聞紙上で「新しい女」を連載開始。「今日は帝劇、明日は三越」という言葉もこの頃。
【1913年】→大正政変
- 第3次桂内閣は第1次護憲運動の結果、総辞職。
- 宝塚ができる。
【1914年】 →青島占領
- 第1次世界大戦、日本参戦。【コチラも:参戦の経緯】
- 日本は青島を占領。ドイツの本や地図、ビールを入手。バームクーヘンも。
【1915年】→対華21カ条
- 対華21カ条の要求。【コチラも:21個は多過ぎた】
- 「断じて一票も買収せず」のスローガン…峯間信吉がこれにより無所属で当選。もっとも、この時代、有権者の家を1軒1軒まわって、陳情を聞き、お金を渡す、という選挙が当たり前のように行われていたわけだ。普通選挙法はこの10年後。
【1916年】
- 夏目漱石の死。
- 袁世凱により中華帝国崩壊。
- 寺内内閣成立。
- 憲政会結成。
【1917年】 →石井・ランシング協定
- ロシア革命。 【コチラも:経緯】
- 石井・ランシング協定。アメリカと日本が関係悪化。石井とランシングは仲が良かったが、ランシングの義父は中国と通じていた。
- 日本で金本位制停止。
【1918年】 →シベリア出兵と米騒動
- ビリケン(非立憲)宰相・寺内正毅内閣下で米騒動。【コチラも:もう一つ上の日本史】
- シベリア出兵。【コチラも】
- 原内閣成立。
- 軍用米の必要性から米騒動が起きた。
- 松下電器の二股ソケット発売。
【1919年】 →パリ講和会議、民族運動
- パリ講和会議。ウィルソン、クレマンソー、ロイド・ジョージ、西園寺公望ら。21カ条の要求を知ったアメリカは日中の山東省の権益に反対を唱える。 【日本はいかにしてドイツ権益を獲得したか?コチラも】
- 朝鮮半島で三一独立運動、中国で五四運動。
- カルピス誕生。
【1920年】→メーデー
- 日本最初のメーデーと国勢調査。この時の人口は5600万人。
【1921年】→原敬暗殺、ワシントン会議(4か国条約)
- 大本教事件(出口王仁三郎逮捕@綾部)
- 軍人たちも大本教を信奉するほど大本教は浸透していたが、政府の方針に合わないところもあり弾圧。(大日本帝国崩壊も予言)改革的要素もあったが。
- 裕仁親王が20歳、欧州歴訪、摂政に。
- 原敬暗殺事件。
- ワシントン会議開始。日本脅威論。4か国条約。 【コチラも】
【1922年】 →9か国条約
- ワシントン会議にて主力艦保有トン数決定。代表団への暗号が読まれていた。
- 9か国条約で中国の門戸開放が決定し、石井ランシング協定は形骸化。
- ソビエト連邦成立。
【1923年】 →関東大震災、虎の門事件
- 関東大震災。10万人以上が死亡。
- 「台風の後に地震」っていうのは関東大震災時も。大阪の人口は一時期東京を上回り、首都移転案も。
- 関東大震災時の朝鮮人虐殺も日本人の恥として忘れてはいけない。
- 復興したのは昭和5年(1905年)。復興を企画した後藤新平は残念ながら前年に死去。
- 改造社の山本実彦はこれにめげず、「円本」を発売。
- 裕仁親王を襲った「虎の門事件」も。
【1924年】
- 路面電車の復興は難しく、バスが普及。
- 山縣は宮中某重大事件で失脚の道へ(皇后の色盲について)。
【1925年】→普通選挙法、治安維持法
- 六大学野球がそろう。
- 普通選挙法制定。加藤高明内閣。満25歳以上。【コチラも】
- 治安維持法も制定。
【1926年】
- 大正天皇崩御。12月25日であり、昭和22年まで大正天皇祭として祝日であった。クリスマスを祝う文化はここから?
- ちなみに誕生日は8月31日。明治天皇誕生は11月3日で文化の日。
昭和1年は、1926年、わずか数日。