~只今、全面改訂中~

☞【幕末年表⑭:1865年・上半期】『死ぬほどの価値のある場面と思ったら、いつでも死ぬべし』

(※3)ハリー・パークス着任

このころ、対日外交に指導的役割を果たしていたイギリスは、公使パークス(1828-85)や通訳官アーネスト・サトウ(1843-1929)がしだいに幕府の国内を統治する力が弱体化したことを見抜き、対日貿易の自由な発展のためにも、幕府にかわる政権の実現に期待するようになった

「詳説日本史研究」p325
パークス
うーん。ただ、ちょっと付け加えるとしたら、私は内戦を望んでいるわけではなく、薩長に肩入れしているわけでもない。

ただただ、大英帝国の利益が目的じゃ。

このあたりがアーネスト・サトウ君とは違う。

アーネスト・サトウ
…たしかに。

私は、志士たちと話をしているうちに、情が湧いてきましたね…

それより朝廷も幕府もどうなってんだ。

一発かましたろか。

あ、幕府の出発をなるべく長引かせてくれるとありがたいです。

その間に軍政改革を進めちゃいますから。

(※追記)天狗党の乱

天狗党の乱(1864.3)

水戸藩内の内紛から尊攘過激派の藤田小四郎ら、横浜即時鎖港を求め筑波山で挙兵、武田耕雲斎を総大将として一橋慶喜に攘夷実行を訴えるべく、上野・信濃・美濃を経て上京をめざした。この間幕府軍・諸藩軍と戦闘を繰り返したが、ついに加賀藩に降伏、多くが厳罰に処された。

「日本史のライブラリー」p206
だって、しょうがないじゃん。
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