~「もう一つ上の日本史」出版に伴い、勉強方法も変える必要が出たので、全面改訂突入します~

☞【継体天皇の墓は、高槻市。】『中央公論』2019年2月号

★天皇家は「万世一系」ではなく、第26代継体天皇の前で途切れていると考えるのが妥当。それまでの天皇と血縁関係がなかったため、ヤマトになかなか入れず、墓も高槻市に置かれた。

★邪馬台国論争には、あまり深く突っ込まないほうが良い。ヤマトに王権があったことは確かだが、それが邪馬台国とは限らない。(邪馬台国=九州の小国の可能性も有る。)

★「前方後円墳の広がり」=「大和の支配の及ぼすところ」という考えは見直すべき。

★王権はヤマトだけにあったわけではない。吉備、出雲、上野、越など…。日本を最初から1つと思わないほうが良い。

★源義家=超スーパーヤクザ説。

中央公論2019年2月号『日本史の大論争』より。特に面白かった古代編、<都と田舎の相克から、この国のかたちを問う>より。

越からやってきた継体天皇はヤマト朝廷から見れば血縁関係がなかったため、ヤマトに墓を作らせてもらえなかった。

当時からみやこびとは「いけず」であった?(笑)。継体天皇の段階で「途切れている」と考えるのが妥当ではないか。

ほかこちら↓

井上章一先生

  • 人間は歴史に学ばない。
  • 畿内に王権があったとはいえ、「邪馬台国が畿内にあった」というのは根拠がないと思う。(♨同感!)
  • 応仁の乱の後、各地に小京都ができるのは服属ではなくて「これくらいなら、俺にもできる」っていう自立心の表れではないか。ドバイや上海にビルが建つのもアメリカへの忠誠じゃない。そういう面でも古代の前方後円墳の広がりはヤマトに対する服属儀礼ととらえられているのは見直す必要があるのではないか?。(面白い!)

倉本一宏先生

  • 纏向遺跡を邪馬台国と考えるのは飛躍。王権はあちこちにあった。吉備、出雲、関東俗権力とされた伊都国が福岡県糸島市にあったのに、聖権力とされた邪馬台国が奈良にあったとしたら遠すぎる。「山門(やまと)」という地名は九州のあちこちにある。
  • えげつない受領たちは儲けれれるけど、紫式部の親父のように儲けるのが下手な人もいた。その気になれば相当すさまじい腐敗が起きた。
  • 源義家を例えると、「東北6県の知事と県警の本部長と自衛隊の東北方面の総監と裁判長を兼ねた役職の人が、大阪に本部を持つ広域暴力団の組長で、なおかつ東京にいる首相の子分で、なおかつ天皇の親戚」という地位。超スーパーヤクザ。
  • 前9年の源頼義以降、武士は残虐になる。ヒントは蝦夷か。
  • 戦闘しなくても良かった庶民を明治政府が徴兵制で兵隊にし、そこに歪曲された武士道を植え付けて帝国陸海軍兵にしたことが近代の悲劇。(♨ただ、徴兵制、国民皆兵は明治政府だけが悪いのではなく近代における世界的な潮流ではないか?)
  • いまだに根深いところで武士道は生きている。ブラック企業での自己犠牲の精神であったり。

継体天皇vs磐井の乱はコチラ。古代史講義戦乱篇。

邪馬台国については、「畿内で決着?」みたいなことを書いている人もいるが、そもそも卑弥呼はいたのか?というところから始まって、まだまだ決着はつかないと思う。