~只今、全面改訂中~

こんにちは。

今回ご紹介しますのは、『もう一つの幕末史』(半藤一利、2015年、三笠書房)です。

半藤先生のことを、「左翼的」と批判するアンチの方もいらっしゃいますが、本書を読んだ限りでは全くそんなこともないと思いました。

そもそも、いろいろな見方があるのが歴史だと思いますし。

「勝海舟の焦土作戦」など、非常に興味深く読むことができました。

「薩長史観」には鋭い指摘をされております。

以下、読書メモです。

★「薩長=開明派」、「幕府=守旧派」ではない。開国して富国強兵を行おうとしようとしたのは幕府である。

★水戸藩、徳川慶喜こそ最大の尊王派である。そのため、鳥羽伏見の戦で錦の御旗を持ち出されてしまって何もできず江戸に逃げ帰った。
(一方、薩長は天皇のことを「玉」と呼んでいた。)

§1.維新には「知られざる真実」があるー権力闘争による非情の「改革」

薩長史観まかり通る

幕末って、何となく「古い頭の幕府軍」を、「開明派の維新の志士たち」が倒した、みたいないイメージがありませんか?

しかし、これこそ勘違いなんですね。

そもそも、黒船来航で「開国」路線をとったのが幕府であり、「攘夷」を叫んだのが朝廷の公家連中であり、薩長でした。

さらに、幕府軍を倒したあと、攘夷をどうするか尋ねられた西郷隆盛は

「攘夷なんて(幕府を倒す)口実よ」

と言ってのけているんですよね。

攘夷をしないのであれば、幕府と政策的にはほぼ一緒であるし、

あれほど血を流さなくても公武合体・雄藩連合による政権で良かったはずです。

西郷らは天皇を利用したんですね。

生麦事件は突発的な事故であっただけで、

薩摩藩は最初から開国派で攘夷を唱えていない、とも言われております。

誰も天皇を知らなかった?

また、孝明天皇が強烈な攘夷論者であったため、「尊王」=「攘夷」が結びついて「尊王攘夷」と呼ばれますが、

志士たちに「尊王」の心があったかどうかは非常に怪しい。

実際に、桂小五郎は天皇のことを「玉」と呼び、西郷隆盛は降嫁した和宮を「賊」と呼んでいます。

最も「尊王」であったのはむしろ水戸学の流れを汲む徳川慶喜であり、

孝明天皇自身が厚い信頼を寄せていたのも徳川幕府だったのです。

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しかし、徳川慶喜将軍就任直後に孝明天皇が死去しました。

西軍にとってタイミングが良すぎるので暗殺説が出回るんですね。

慶喜の忠誠心は立派だが、ブレすぎているので危機時のリーダーとしては失格。

昭和前期の近衛文麿とダブる、という意見も。

桜田門外の変

井伊直弼が暗殺された「桜田門外の変」(1860年3月)およびその2年後の安藤信正が襲撃された「坂下門外の変」(1862年1月)で幕府は腰抜けになってしまいました。

これをみた薩摩藩の島津久光が朝廷と幕府の調停者たらんと上京します。(1862年4月)

久光は、

①将軍が上洛して天皇に会うこと、
②雄藩大名を起用し五大老を設置すること、
③慶喜と松平春嶽を幕府首脳にすること

を幕閣に要求したうえ、

「寺田屋事件」などで攘夷派を徹底的に取り締まりました。

攘夷派を取り締まってた久光が「生麦事件」を起こしてしまうのは皮肉だ。

そのため久光が上京して以降は、攘夷派によりさらに多くの血が流されました。

反発した高杉晋作、伊藤博文、井上馨らによる英国公使焼打ち事件もこの時期です。

空回りしたところもありますが、
久光を再評価する動きもありますね。

西郷の死で「維新」は完成した

戊辰戦争が終わって、いったん西郷隆盛は薩摩へ帰ります。

しかし、明治新政府は迷走を続け、桂小五郎、三条実美も嘆いておりました。

大久保利通が政治センスを発揮して「省」を作りましたが、

やはり西郷の力が必要と言うことで、西郷が呼び戻されました。

そして、「近衛兵創設」、「廃藩置県」などが「すごい勢い」で行われました。

遣欧使節団の留守を預かってもそれは変わらず、榎本武揚ら旧幕臣の採用、学生発布、鉄道開業、太陽暦採用、国立銀行条例の制定、地租改正などを行い一気に近代化しました。

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同じく留守を預かった江藤新平の活躍も評価しております。

しかし、1873年(明治6年)10月、征韓論争で大久保の策謀に西郷は敗れます。

西郷が鹿児島に帰ると、各地で不平士族の反乱が相次ぎました。

  • 岩倉具視暗殺未遂(1874)
  • 江藤新平の「佐賀の乱」(1874)
  • 神風連の乱(1876)
  • 前原一誠の「萩の乱」(1876)

そして、西南戦争(1877)に突入します。

よく「西郷は死地を求めた」みたいな言説を見ますが、

西郷隆盛は勝てると思っていた、と考えられております。

勝海舟も

「西郷が勝つ。新政府はもう1度やり直しだ」

と言っていたほどでした。

西郷軍は戊辰戦争で実戦を積んだ士族団ですし、相手は徴兵で集められた寄せ集め。

さらに熊本鎮台の参謀長の樺山資紀は薩摩出身だから寝返るであろうし、海軍は砲を向けないであろう、と思われていました。

♨ちなみに熊本鎮台の司令長官は谷干城。谷干城>樺山。

ところが新政府軍の装備が上がっていて、西郷は敗れます。

さらに翌年の「紀尾井坂の変」で大久保利通が暗殺され、病死した桂小五郎を加えた「維新の三傑」が死んだことで、

「暴力革命」のみそぎが終わり、「幕末」が終わる。

としています。

(つまり、幕末とは明治10年まで。)

(ただ、明治30年の時点で陸軍大将は全員が薩長出身。海軍は薩摩出身および宮様。賊軍差別は露骨に続いていました。)

おまけ。半藤先生の分類。

幕府軍も、西軍も、一枚岩でない。

幕府軍西軍
共順派/公武合体派徳川慶喜
勝海舟
天璋院(篤姫)
静寛院宮(和宮)
山岡鉄舟
大久保一翁
山内容堂
坂本龍馬
後藤象二郎
松平春嶽
徳川慶勝
ハリー・パークス
主戦論派/武力倒幕派松平容保
小栗上野介
新撰組
松平定敬
榎本武揚
大鳥圭介
レオン・ロッシュ
西郷隆盛
大久保利通
桂小五郎
高杉晋作
岩倉具視
三条実美

読みやすく、面白い本でしたので、ぜひご一読を。

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