こんにちは。
今回ご紹介しますのは、前回に引き続き、『もう一つの幕末史』(半藤一利、2015年、三笠書房)です。
半藤先生は勝海舟のファンだそうですが、
今回は「江戸城無血開城」をめぐる西郷隆盛と勝海舟の駆け引きがメインです。
以下、読書メモです。
★勝海舟は江戸城が攻撃された時に備えて焦土作戦を計画していた。
§2.幕末「心理」戦争ー江戸城無血開城までの「西郷×勝」攻防3ヶ月
いかさまの御旗が鳥羽・伏見に翻る
話は「鳥羽伏見の戦い」から始まります。
このとき、幕府軍15000に対して、薩長軍は5000でした。
明らかに薩長軍が劣勢だったのですが、ここで(捏造品の)「錦の御旗」を考え出したのですね。
こういうことができる人が、「軍事の天才」と呼ばれる人で、「足利尊氏」であり、「西郷隆盛」と褒めております。
ははは。
「朝敵」の烙印を押された、慶喜は戦意喪失し、「江戸へ帰る」と言い出しました。
しかし、この時点で西軍の戦死者は60人、東軍の戦死者は279人だったのです。
279人死んで退却とはいかがなものかと思いますし、
大坂城は不落であるし、すぐに江戸から軍艦を呼ぶなどすれば良かったのに。
というのが半藤先生のご意見。
昼寝の勝に、将軍より呼び出しアリ
直言タイプの勝海舟は慶喜から嫌われていたといいます。
それでも困った時は勝海舟に仕事が振られる、という損な役回りでした。
案の定、慶喜は講和の依頼を勝海舟に丸投げします。
そうこうしているうちに5万に膨れ上がった「官軍」が江戸へ進撃開始しました。
勝vs西郷 歴史を分ける心理戦
駿府まで行軍してきた新政府軍に対して、慶喜は最初、勝に行くように頼みましたが、勝が寝返るのではないかと不安に思い取りやめました。
続いて高橋伊勢守泥舟に頼みましたが、「お前がいなくなったら誰がわしを守るのだ」となって半日で撤回します。
そこで泥舟が義弟でもある山岡鉄舟を薦めました。
そして、山岡鉄舟が西郷のいる駿府に行くことに決まりました。
その鉄舟に「益満休之助」という薩摩藩士がつくことになりました。
休之助は、大政奉還後、武力戦争に持ち込みたい西郷隆盛の命で、江戸で放火・強盗などを行っていた集団のリーダーでした。
その後、幕府軍に捕らえられたのですが、
「何かの役に立つであろう」
と、勝海舟が住まわせていたというのです。
鉄舟は勝の手紙をもって西郷のいる駿府へ行くことになりましたが、
周りは敵だらけでした。
休之助がいなければ無事にたどり着いたかもわからなかった、と言われます。
3/9 鉄舟、西郷に面会
駿府に到着した山岡鉄舟は西郷に面会します。
「慶喜公は戦うつもりはない。そちらの条件は何だ?」
と聞けば、
「慶喜を備前藩に預けよ、会津藩などには厳罰を、江戸城を明け渡せ、軍艦をよこせ、家臣は向島で謹慎しろ」
など。
その後、
3/12 西軍は池上本門寺に入る。勝は面会を申し込む。
3/13 高輪の薩摩藩下屋敷で両者会談。
となりますが、この直前、パークスは西郷に
「この国に政府はあるのか。ここは居留地なんだ。居留地を統括している我々に通知もなく勝手に戦争を始めるとはどういうことか。居留地の安全は誰が確保するのか。国際社会には万国法があるので、無視するなんて、無政府の国か」
と、告げていました。
3/14 勝と西郷が2度目の会談。勝の気迫勝ち(?)
そして芝田町薩摩藩蔵屋敷における勝と西郷の2度目の会談で、
「正義に背いてまで戦争をして、本当に自分たちが正しいと思っているのか。西洋が虎視眈々と我が国を狙っているような時に互いに国内戦争なんてバカなことをしていたら外国から侮られる。どうしても戦争をするならこっちにも覚悟はある。」
と勝が気迫を込めて言ったことで、
慶喜の謹慎先は水戸、徳川の家臣は向島ではなく、もうちょっとマシなところに移動に決定しました。
さらに、「駿府の最高幹部と相談するのでちょっと待って欲しい」と言う西郷に対して、
「少なくとも明日の総攻撃はしないと確約せよ」と追い打ち。
結果、3/15が江戸城総攻撃の予定日でしたが、中止となりました。
その後は、
3/20二条城で緊急会議。徳川慶喜の死を免ずることが決定。
3/22 西郷隆盛京都出発。
3/25西郷隆盛駿府へ到着。会議により慶喜は尾張家へ行くことが決定。会津と桑名へ問責の兵を送ることも削除(ただしのちに結局戦争に)。
3/27 勝、横浜のイギリス領事館へ行く。最終的にパークスに気に入られディナーにも招待される。その席で、外国の中立を約束を取り付ける。
となりました。
なお、
3/28にはパークスが西郷を呼び寄せ、「慶喜を殺害などしたら評判は悪くなるぞ」と釘を刺します。(前日の勝との会談が効果?)
そして、
4/10 勝、西郷が池上本門寺で再会。最終決定となり、
翌日、江戸城無血開城となりました。
4/11 江戸城無血開城、その裏で…
西郷が誠実に対応した点も見逃せません。
しかし、驚くことに勝海舟がその裏で、もし江戸城に攻撃を仕掛けるようだったら「焦土作戦」を準備していたのです。
西軍が本丸に入ってきた時に周囲広範囲に火を放ち、江戸ごと燃やして相手も生きて帰さない、という作戦です。
時を経て明治31年(1898年)3月、明治天皇は慶喜を皇居に呼び酒を酌み交わし、歴史的な和解をしました。
その翌日、慶喜は勝のところへ立ち寄ったと言われます。
満足したのか、その翌年、勝は死去しました。
(舞台裏にあって)パークスは全面的な内乱が広がって貿易の発展に悪影響を及ぼすことを警戒して、新政府軍の江戸武力攻撃に反対していた。…勝は西郷との会談で、インドや清国の例をあげて、内戦の拡大が国家の独立を危うくすることを説き、平和のうちに江戸城を明け渡すことで、両者の話し合いが合意に達し、新政府軍と旧幕府軍の全面的な武力衝突は回避されたのである。なお、旧幕府側でこれを不服とする彰義隊があくまで抗戦を主張して、上野に立てこもったが、同年5月、大村益次郎の指揮する新政府軍によって1日で鎮圧された。
詳説日本史研究p329より一部改編
なお、ほぼ同時代に世界でおこった出来事を比べると、アメリカの南北戦争では死者62万人、フランスのパリ=コミューン事件では約3万人の死者がでたという。それと比較すると戊辰戦争の死者は8200人余りで、その後の変革の大きさに比べて流血は小規模であった。
詳説日本史研究p329より一部改編
ホントはもっと少なくて済んだはずだろ…!
8200人のうち2500人は会津藩だし…。
§3.自らを「アヒルの水かき」と揶揄した男ー私が勝海舟に惹かれる理由
ここからは半藤先生がなぜ勝海舟が好きかという話です。
勝は元々は蘭学者で、妹は佐久間象山の妻となっておりました。
しかし、阿部正弘が募った「海防意見書」を提出したところ、
これを読んだ大久保一翁が勝の登用を推薦します。
ここから出世の道が開かれ…と思いきや、
身分が低いうえに直言居士であったため、大抜擢と罷免を繰り返しておりました。
咸臨丸艦長になるも…
それでも、1855年(32歳)から5年間は、長崎海軍伝習所で過ごし、
1860年には、遣米使節団の一員として米国へ行くことが決定しました。
この時、勝は咸臨丸の艦長格に任命されますが、風邪をこじらせており船室に閉じこもっていたと言われます。
福沢諭吉は「使い物にならなかった」と酷評しておりますが、
命の危険さえあったほどの病と戦っていたと言われます。
また、純日本人で航行するという主張が通らなかったことからストライキ気味に船室にひきこもっていたという話もあります。
当時の航海技術から、おそらく純日本人でやっていたら失敗していたと思いますが、
無事に航海できたのは良かったことでしょう。
海舟と14代将軍家茂の友情
また、年下でしたが、14代将軍家茂のことを慕っておりました。
「これからは海防の時代です。神戸で海軍をつくりましょう。」
と勝が言うと、家茂は、即座に神戸海軍操練所を設立しました。
また、家茂が将軍として229年ぶりの上洛する際は、海路を選択もしました。
途中、船酔い者が続出しても、勝への信頼感から陸路に変更することはありませんでした。
2人は同じ夢を見ていたのでしょう。
将軍暗殺篇はなかなかスリリングだったわ。
勝は「幕府の海軍」ではなく、「日本の海軍」をつくろうとしました。
この時代、幕府や藩を超えて、「日本国」という明確な国家意識をもっていたのは勝海舟と大久保一翁だけであったであろうと言われます。
そういうわけで、勝は「育てるのは幕府の人間じゃダメだ」として、授業料をとり各藩の人間を受け入れることにしました。
坂本龍馬もここで登用されます。
勝も人脈を得ることになりますが、これにより「薩長の回し者」と思われた時もありました。
しかし、ここからが勝の真骨頂であり、
「誰を味方にしようなどと言うから、間違えるのだ。みんな敵がいい。そのほうがわかりよくて、大事ができる」
と言ってのけるのです。
開明派であるため早くから攘夷派に命を狙われていた一方、
「江戸幕府はぶっ壊した方がいい」などと言って幕臣からも狙われておりました。
実は、江戸城開城後に薩長の兵に撃たれたこともあるそうです。
それでも泰然としていられたのは、「剣術」と「禅学」を本格的に修行していたからではないでしょうか、とも。
こうしたところが、半藤先生が勝海舟のファンとなった理由らしいです。
ぜひ、本書を。
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