~只今、全面改訂中~

☞【幕末年表⑬:1864年・下半期】『可能なら非公式に、必要ならば公式に支配を拡大』

(※2)四国艦隊下関砲撃事件

貿易の妨げになる尊攘派に打撃を加える機会をうかがっていた列国は、イギリス公使オールコック(1809-97)の主導により、前年の長州藩外国船砲撃事件の報復として、イギリス・フランス・アメリカ・オランダの四国連合艦隊が下関を砲撃し、陸戦隊を上陸させて下関の砲台などを占領した。(四国艦隊下関砲撃事件、馬関戦争)

「詳説日本史研究」p325
オールコック
これはですね、一つの「賭け」に出たわけですよ。
本書に詳しく。
英国にとって一番大事なのは貿易。

つまり横浜鎖港についての牽制なんですよ、この砲撃は。

貿易>>>>戦争であって、

「可能なら非公式に、必要ならば公式に支配を拡大」って考え。

戦争しない方がコスト安いでしょ。

幕府はグルなんじゃないかと思いましたもん。

長州藩を攻撃したら、幕府、朝廷、各藩がどう出るのかって賭けです。

攘夷の幕末史
そりゃ、当時の日本人はみんな思想的には攘夷ですもん。

タイミングの問題だけで。

ですからオールコックが疑念を持つのもよくわかる。

もっとも、オールコックは本国に送還。

全面戦争にならなかったから良かったけど、

この砲撃のせいで貿易で日本に進出している居留民が被害を受ける可能性もあったわけだし。