~只今、全面改訂中~

☞【幕末年表⑬:1864年・下半期】『可能なら非公式に、必要ならば公式に支配を拡大』

(※5)たった1人!高杉晋作、功山寺挙兵!!

いったん幕府に屈服した長州藩では、攘夷の不可能なことをさとった高杉晋作・桂小五郎らは、幕府にしたがおうとする藩の上層部に反発し、高杉は奇兵隊を率いて1864年12月に下関で挙兵し、

「詳説日本史研究」p325
高杉
ちょっと違うな。

俺は1人でもやるっていって立ったんだ。

奇兵隊は後からついてきたかな。

「死ぬほどの価値のある場面と思ったら、いつでも死ぬべし」だ。

長州男児の腕前をとくとご覧あれ。

伊藤博文
この時、一番に駆け付けたのが幕末における私の一番の誇れる功績かな…。
この教科書の記述はちょっとわかりにくいですねー。

大体、幕府は最初から攘夷は不可能、って知っているんですし

つまり、志士たちは目標を「攘夷」から「倒幕」に切り替えたんですねー。

功山寺挙兵の結果は、翌年に。

(※6)征長軍、解散。

長州藩は三家老が責任をとって切腹して、藩主も謝罪しているし、

「俗論派」と呼ばれる幕府恭順派が主導権を握っているし、

そもそも外国船にやられてボロボロだし、

「ま、これくらいでいいでしょ」という感じで、徳川慶勝は長州藩に打撃を与えることなく征長軍を解散させました。

これが幕末の大きなターニングポイントになります

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