こんにちは。
今回ご紹介しますのは、「太平洋戦争における戦没者の数」についてです。

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以下、「データで見る太平洋戦争」の第1章、「230万人はどのように戦死したのか?」を参考にさせて頂きました。
【第1章のまとめ】
★軍人・軍属230万人が戦死(1964年、厚労省)。
…民間含めると310万人以上。
★「餓死」&「病死」の割合がやたら多い(!)。
…「降伏が許されなかった」ために突撃して死んだ者、「自死」したものも多い。
★「絶対国防圏」を突破された1944年以降は、国民の「根こそぎ動員」が行われた。
…これにより国内生産力は激減。
…精兵ではないため戦闘能力も低下。
…関東軍の南方転用も試みられたが、空からの護衛がないため、沈没死が多数。
南方戦略
★当時の日本にとって戦争継続に必要な石油、鉄鉱石、ボーキサイト、ゴムなどの戦略物資を抑えるために、南方の資源地帯を確保することが死活問題でした。
そのため、南方の資源を確保したうえで米軍を迎え撃つことが当初の戦略でした。
伸びすぎた補給線
しかし、緒戦の結果に目がくらんだのでしょうか(?)。
ミッドウェー島(日本とハワイの中間)、ニューギニア島(オーストラリア隣接)占領を目指したことは、「補給線が伸びすぎる」という結果を招きます。
そのため、劣勢となり補給線が絶たれた時に、「多くの兵(少なくとも6割以上)が餓死あるいは病没する」という事態を招きました。
♨「日本は兵站を軽視した」「長州は基本的に豊かな国だから兵站が苦手」などという考えには反対意見もあります。他国でも兵站にはだいぶ苦労しているのです。ちなみに兵站の天才と言われたのは豊臣秀吉。すべての日本人が兵站が不得手だったわけではありません。
地域別戦没者
★厚労省発表の地域別・戦争別戦没者数(1964年公表)は以下の通りです。
中国 | 45万5700人 |
仏領インドシナ | 1万2400人 |
マレー半島、シンガポール | 1万1400人 |
タイ | 7000人 |
スマトラ、ジャワ、ボルネオほか | 9万600人 |
フィリピン(1944年~45年、レイテ沖海戦含む) | 49万8600人 |
ニューギニア | 12万7600人 |
ガダルカナルの戦 | 2万800人 |
樺太・千島(1943年5月、アッツ島の戦いなど) | 1万1400人 |
中部太平洋諸島(サイパン、グアムなど) | 24万7000人 |
インパール作戦(1944年3月~7月) | 3万8400人 |
台湾(1944年10月、台湾沖航空戦) | 3万9100人 |
小笠原諸島(1945年2月~硫黄島の戦い) | 1万5200人 |
沖縄諸島(1945年3月~沖縄戦) | 8万9400人 |
日本本土(※原爆含む) | 10万3900人 |
シベリア(※シベリア抑留は60万人とも) | 5万2700人 |
満州 | 4万6700人 |
朝鮮(1945年8月9日、対極東ソ連軍など) | 2万6500人 |
さらに悲惨な1944年以降
★1944年、絶対国防圏が破られました。
これにより台湾、沖縄への米軍侵攻は時間の問題となりました。
しかし、これを国民の「根こそぎ動員」と、「関東軍の南方戦線転用」で乗り切ろうとします。
結果、国内における熟練工もいなくなり、生産能力も低下することとなりました。そのうえ、訓練されているわけではないので兵もすぐにいなくなります。
また、そもそも海上交通も抑えられおりました。
そのため、関東軍の輸送船は撃沈され、海没する部隊が相次いだのです。
(戦没者の9割が1944年以降というのも頷けますね…)
戦陣訓の足枷
★また、国際的には1929年のジュネーブ条約で捕虜の権利は保障されていましたが、日本兵は降伏が許されませんでした。(【水木しげる「総員、玉砕せよ」】のとおり。)
「生きて虜囚の辱めを受けず、死して罪過の汚名を残すこと勿れ(1941年1月、東条英機)」という戦陣訓のせいでしょう。
上官は部下に降伏を許さず、死者が拡大しました。
なんせ降伏すれば非国民扱いされ、残された家族が迫害される恐れがあったと言われております。
一言で言うと、「ブラック」過ぎますね…
♨【日本軍兵士】(吉田裕、中公新書)も興味有り。
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<インタビュー:半藤一利(作家)>
★230万人という数字が出ているが、これすら過小評価ではないかと思う。戦争においては正確な人数を把握していないと必要な物資などが算出できないはずであるが、それすらできていなかった、と思われる。
日本兵は「はがき1枚」で集められる存在。3日分の食料を背負わせて前線へ送り込み、それ以後は「現地調達しろ、降伏はするな」というのが将校たちの考え。兵士は完全に「駒」扱い。一方、米国は人命を大事にした。
海上移動中に沈められた陸軍将兵は18万人にものぼると言われている。開明的とされる海軍も陸軍とさほど変わりはなかった。
陸軍の特攻を指揮した冨永恭次をはじめとして、偉い人は戦争を生き抜いている。「日本的美学」などとんでもない。戦没者230万人の犠牲のうえに今の日本が成り立っていることも、認識すべきであろう。
<雑感>
永田鉄山の思想を形式上は受け継いでいるものの、永田鉄山は既にいないから「応用力」が効かない。石原莞爾のような応用力のある人を左遷して、残った「二軍」のようなメンバーで勝てるはずがなかろう。そもそも、その残ったメンバーは部隊が「ちゃんと」全員玉砕したかをひたすら記録しているような「(悪い意味での)お役所的な」人々たちだし。
そして「武士道」というものを多くの日本人は履き違えていると思うのですよね。洗脳されているとも言います。リアルファイトを戦い抜いた鎌倉・室町時代の「リアル武士道」と平和な時代の「武士ってこうありたいよねー」という江戸時代の「なんちゃって武士道」がそもそも全く違うものとも思いますし。
これは必読。
★地域の体育委員を通じて
もし、日本文化を学びたいという外国人がいらしたら、地域の役員をやるのが一番だと思っております。
僕自身は地域の体育委員をやってみて、昭和の名残を十分に堪能しました。
委員を駒扱い、運動会などはどこに何人必要かも全く把握しない状態で指図、って、あー、戦争時もこんな感じだったんだろうなーと思いました。
(もちろん中には良い人もいるところも、その思いに拍車をかけます。)
そして、改善を訴えたところ、次から仕事がなくなった(笑)
まあ、それで良かったのですが。
そもそも、「検討します」と言って何も検討しないのですから。(政治家の真似?)
こういうのは平成の世で終わりにして欲しいと思います。
★産業革命が欧州で起きて、なぜアジアで起きなかったのか?
ある書籍で「欧州は人間の価値が高かったので、産業革命によって人件費を削ることが有意義であったが、アジアは人が多く、そもそも人間の価値が低いので、人件費が安く、産業革命と言う方向に走らなかった」とありました。
「ファクトフルネス」(2019年、日経BP)を見ますと、2100年にはアジアの人口は今より10億人増えて50億人だそうです。(一方、欧州、アメリカは10億人のまま)
いくら人口が多いからといって、人間の価値が低いなどと考えてはならないのですが、アジアと欧米では人の扱いが違うのでは?と頭に置いておきたいと思います。
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★「総力戦のなかの日本政治」(源川真希、2017年、吉川弘文館)より。
日本の物的被害のうち、「国富被害」は約653億円で、関東大震災の約5倍強。これとは別に艦艇・航空機などの「軍事的国富被害」が約404億円。終戦時の公定価格を基準としているため、実損害はこれ以上だったと言われます。
「戦争はもうかる」という話がありますが、母国が戦場になったらそうも言ってられないでしょうね。
ちなみに、終戦時に海外には350万以上の軍人・軍属と、同じく350万以上の民間人がいたとのこと。戦後、この人たちが引き揚げてくるのですが、彼らの思いは複雑だったと思います。
また、シベリアでは57万人が抑留されたことも忘れてはいけません。