~「もう一つ上の日本史」出版に伴い、勉強方法も変える必要が出たので、全面改訂突入します~

☞【南北朝動乱をわかりやすく!】『南北朝動乱 太平記の時代がすごくよくわかる本 』(水野大樹、2017、じっぴコンパクト新書)

確かにすごくわかりやすかった。一気に読める

コチラもオススメ『戦争の日本中世史(呉座勇一)』

この本で取り上げられているのは、

  • ①後醍醐天皇の登場(1318年即位)
  • ②鎌倉幕府滅亡(1333年)
  • ③建武の新政(1333年)の失敗と中先代の乱(1335年)
  • ④足利尊氏vs後醍醐天皇(1335年~)
  • ⑤南北朝時代(1336年~)
  • ⑥観応の擾乱(1350~1352年)
  • ⑦南北朝合一(1392年)
  • ⑧人物事典16人

であるが、改めてもう「いい加減にせい!」と言いたくなるような時代である。(面白いと言えば面白いが。)

後醍醐天皇をはじめとして、「南朝史観」というものにはホント否定的になったが、

南朝は弱体化しながらも4回も京都を占領している

ことは特筆すべき点。っていうか「首都、取られ過ぎ」なのと、直義が南朝についたり、尊氏が南朝についたりと、「敵味方変わり過ぎ」。

首都が4回も占領されているのは、京都は鎌倉とは異なり「攻めるのに容易で守るのに難しい土地」だからだそうだが、京都観光する機会があれば、京都駅展望台か京都タワーにでも上って、それを実感してみて欲しい。(鎌倉観光した際には、鎌倉が自然の要塞であることが素人なりによくわかった。【鎌倉旅行記はコチラ】)

また、京都が舞台になることが多いが、近畿以外の人が知っておいた方が良いと思う地理は、

  •  東方面の進入路としての「瀬田」と「宇治」
  • 西方面からの進入路としての「山崎」と「淀」
  • 「吉野」から「伊勢」へ抜ける道(退却路)
  • 「京都」から「比叡山」へ抜ける道(退却路)

京都に住んでいたらこれらのことは当然のことのように知っていることのだが、近畿以外の人はもしかするとイメージが付きにくいかも知れない。しかし、本書は地図が多く使われており、近畿以外の人でも地理関係が分かりやすいと思うので、是非、そういう面でもオススメしたい。 【畿内有利説

しかし、ただでさえ「室町幕府」と「鎌倉府」があるうえに、「北朝」に「南朝」、懐良親王の「九州王朝」、さらには恒良親王の「幻の北陸王朝」などがあったことを考えると、日本が1つになるのはまだまだ先なのだ、と改めて思う。

→【「室町時代で打線を組む」はコチラ。

【他書も交えての略年表】

  • 1308年 後醍醐天皇(尊治親王)、皇太子に。
  • 1317年 文法の和談
  • 1318年 後醍醐天皇即位
  • 1321年 記録所再開、後宇多天皇の院政停止(隠居の原因不明)
  • 1324年 後宇多天皇没⇒正中の変(後宇多天皇死亡が結びつく)
  • 1326年 皇太子死亡
  • 1327年 護良親王比叡山へ
  • 1331年 吉田定房密告、元弘の変。(日野資朝、俊基処刑) 
  • 1331年 後醍醐天皇は捕らえられ、持明院統の量仁親王が光厳天皇として即位。楠木正成挙兵。
  • 1332年 後醍醐天皇、隠岐へ。(皇子たちも各地へ流罪。護良親王はつかまらなかった。)
  • 1332年 各地で挙兵(楠木、赤松、護良、菊池、土居、得能、紀伊の僧兵ら) 
  • 1332年 後醍醐天皇、名和長年により隠岐脱出して吉野で挙兵。 
  • 1333年 後醍醐天皇を攻撃するために、足利尊氏出兵(そして、離反) 
  • 1333年 新田義貞により鎌倉幕府崩壊、後醍醐天皇政権へ
  • 1334年8月 二条河原の落書き
  • 1334年10月 護良親王鎌倉へ護送
  • 1335年7月 中先代の乱(○北条時行vs足利直義●)
  • 1335年8月 尊氏、勅許を得ぬまま弟を救いに行き勝利
  • 1335年10月 後醍醐天皇への離反を明確に
  • 1335年12月 竹之下の戦い(○足利尊氏vs新田義貞●)
  • 1336年1月 ○北畠顕家・新田義貞連合軍vs足利尊氏●
  • 1336年2月 足利尊氏、九州へ逃走
  • 1336年3月 多々良浜の戦い ●菊池武敏vs足利尊氏○
  • 1336年5月 湊川の戦 ○足利尊氏vs楠木正成●
  • 1336年6月 足利尊氏、光厳上皇を奉じて入京
  • 1336年11月 光明天皇即位
  • 1336年11月 尊氏が建武式目を制定。室町幕府成立。
  • 1336年12月 後醍醐天皇吉野へ。南北朝の対立開始。
  • 1338年5月 北畠顕家戦死(高師直)
  • 1338年7月 新田義貞「藤島の戦」で戦死
  • 1339年6月 懐良親王(11歳)征西将軍に任命
  • 1339年8月 後醍醐天皇死亡
  • 1339年10月 後村上天皇即位、この頃「神皇正統記」
  • 1341年 南朝も内紛、北朝も内紛。(高師冬vs上杉憲顕:尊氏の従兄弟)
  • 1343年2月 北畠親房からの100通の親書に辟易した結城親朝は足利方につく
  • 1348年 河内四条畷の戦で楠木正行・正時兄弟戦死
  • 1349年4月 足利直冬が中国探題となる 
  • 足利直義と高師直の対立先鋭化(観応の擾乱) 
  • 1350年11月 足利直義が南朝に和議を申込む
  • 1351年1月 南朝が京都制圧 
  • 直義が義詮と対立して辞任、その後、尊氏が南朝に下るなど・・・ここで終わらないのがスゴイ…