鎌倉時代後期~応仁の乱までをハイレベルで網羅できる。
室町時代は面白い!!
この面白さを伝える本として『南朝の真実』(亀田俊和先生)と迷ったが、蒙古襲来から応仁の乱まで200年近くをカバーしているという点で、こちらにさせて頂いた。
※ちなみに室町時代はその終わりを1573年とすると240年近くあり、実に長い。将軍も15人いて、江戸時代と同じである。(その実態は大きく違うが。)
呉座先生と言えば、「応仁の乱」(2016年、中公新書)の方が有名だと思うが、最も伝えたい本はこっちではないかと勝手に思っている。
なお、南北朝内乱を補足するものとして、水野大樹先生の『南北朝動乱 太平記の時代がすごくよくわかる本 』(2017年)、同じく応仁の乱を補足するものとして、『戦国時代前夜 応仁の乱がすごくよくわかる本』 (2017年)もオススメしたい。
本書の構成は、第1章「蒙古襲来」、第2章が「悪党」の時代、第3章~5章が「南北朝内乱」、第6章が「南北朝内乱後」であり、終章に「応仁の乱までの経過」となっている。
ここでは一見地味な第2章から、興味深い記述を紹介したい。
鎌倉幕府滅亡の原因は何か。この難問に対する日本中世史学会の最新の回答をお教えしよう。ズバリ「わからない」である。
「戦争の日本中世史」p97-98
研究が進めば進むほど、仮説が成り立たないと言うのだ。
北条専制支配に対する反感は多くの人が抱いていたにせよ、それと倒幕が結びつかないと言う。
※北条専制支配に対する「冷遇された者たちによる反乱」というのはいかにも「階級闘争史観」。自分も知らず知らずのうちに、この「階級闘争史観」で頭が凝り固まっていた。フラットな眼で歴史を見つめ直したい。
小中学生向けのものには「蒙古襲来で頑張ったにも関わらず恩賞がもらえずに不満がたまったから」とか書いてあったりもするが、これは実に浅い考えということがわかる。
そもそも複雑な経過を経て起きる事象が簡単に説明できるはずなどない。「単純化圧力」は存在するが、単純化などできない、とするのが歴史の面白い点であろう。
というわけで、鎌倉幕府滅亡の原因は?と聞かれて、
「わからない」
と言う答えこそ良心的な回答なのだ。
さらに、これまでは楠木正成や赤松円心は「悪党」(=「御家人ではない新興の武士」)とされていたが、
近年の研究では楠木正成は御内人、赤松円心も六波羅探題配下の御家人であった
「戦争の日本中世史p99
ことがわかったという。うーん、これってだいぶイメージが変わる。
さらに、呉座先生によれば、この鎌倉後期~南北朝期は、「悪党の時代」ではなく、
「有徳人(うとくにん)の時代」。
有徳人=金持ちのことであるが、この時代は貨幣流通が活発化し、年貢の代銭納制が成立した時代だという。(←これ頻出)
1220年代の金王朝支配下の北中国、つづいて1270年代のモンゴル帝国支配下の江南において、紙幣流通を目的として銅銭禁止政策が推進された。
これによりだぶついた銅銭が日本や東南アジアに大量に輸出され、貨幣経済となったのである。
追記
【追記】呉座先生と言うと、最近では「応仁の乱」よりも「俗流歴史本」論争の方が有名になってしまった感がある。論争そのものは結構面白かったりもするのだが、そちらよりもやはり本書を読んで欲しい。(2019/7/17)
【追記】やはり最も味わい深い文章は終章の「平和はきれいか」の項【読書メモはコチラ】。何度読み返しても重要。完璧な平和など追い求めるものではない。かつてサッチャー首相は政治に最も必要なものとして、しばし熟考した後、「健全な(?)敵対勢力」と答えたという話を新聞で読んだことがあるが、そういうことである。適切な勢力均衡を保つことがいかに大事か。畠山満家を見習うべし。(2019/8/14)
【追記】出張先でテレビをつけたら、たまたま「歴史ヒストリア」で「最新研究日野富子」をやっていた。呉座先生もフルに登場。これはめちゃくちゃ面白かった。永正の錯乱後、かつて明応の政変で争った畠山家と細川家を結びつけるために応仁記が書かれて日野富子が悪役にされてしまった、という。(2019/09/18)
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