【紹介編はコチラ】
「なぜ、外国戦艦に砲撃を加えたその2日後に伊藤博文ら長州ファイブはイギリスへ留学できたのか? 」という視点は教科書オンリーで勉強していたら生まれてこない。
以下、読書メモと雑感。
本書でわかること
★なぜ、萩藩は外国艦船に砲撃を加えておきながら(1863年)、その2日後に長州ファイブがイギリスへ密航できたのか?
(ついでに言うと4か月前に英国公使焼打ち事件を起こしておきながら。)
(※また、「長州藩」という記載は公式文書には一切なく、「萩藩」が正解。勝海舟や高杉晋作の日記でも「長州藩」という言葉は出てこない。)
★なぜ、薩英戦争(1863年)で薩摩を占領できるのにしなかったのか?(※1862年生麦事件)
★なぜ、志士たちがそんなにお金を持っていたか。
♨この特別会計のシステムはわかりやすかった。
★日本は内戦が少なかったから外国に乗っ取られなくて済んだ、という人がいるが、これはメディアコントロールである。そもそも外国が本気で乗っ取ろうと思えば乗っ取れたではないだろうか。戊辰戦争、上野戦争などはどうとらえるのか。
♨保谷先生の書籍【コチラ】では、「乗っ取ることは難しい」と判断されていた。
★「幕府はフランス、薩長はイギリス」が後ろ盾、というのは正しいか?
当時、幕府は通商条約を結んでおり、それに反対しているのが攘夷論者と天皇。イギリスがバックアップすべきは幕府であり、生麦事件などを起こした薩摩に肩入れする必要などないではないはずだろうが。
★では、薩長のバックについていたのはだれか?
★なぜ、アーネスト・サトウは薩長を応援した?
★なぜ、1863年、外国艦隊砲撃事件、生麦事件が起きた後でも日本で銀行が設立されたか?
★なぜ、奇兵隊は強かったのか?
★なぜ、明治維新となって頻繁に戦争が起きたのか?征韓論の理由は「明治政府が送った親書に対して朝鮮が無礼な態度をとったから」であるが、新政府で不安定な時期にそこまで考えるだろうか?
★岩倉使節団は107名で2年近く外遊しているが、この金はどこから出ているのだろうか?なぜ、この時期に行われたのだろうか?
§0.序
近現代史は情報過多すぎる。そしてどこまでが本当であるかわからない。
ほとんどの人はテレビドラマを歴史の教科書のように考えてしまっているが、これでは、多くの人は明治維新を見誤るだろう。
§1.明治維新を支えた金策
萩藩は代々、財政難にあえいでいた。徳川幕府からはたびたび負担金を要請されていた。そこで第7代藩主毛利重就は1763年、「撫育」と呼ばれる特別会計制度を設けた。
撫育局は1840年より倉庫業を開始。金融業も開始。新潟藩と組んで密貿易も開始。密貿易取締り組織(八幡改方)も作るなどカモフラージュにも余念がない。
撫育により討幕資金を得ることができ、外国の武器商人も重要な商売相手としてみなしてくれた。
この撫育は庶民を搾ることによって誕生した金には違いない。1831年には13万人もが一揆をおこしている(防長大一揆)。
撫育制度は現代にも引き継がれている。新政府の官僚制度は長州閥が作り上げたもので、「特別会計」という思想はこの頃から続いている。
撫育局のトップは木戸孝允、現地で采配を振るっていたのが高杉晋作、実働部隊が伊藤博文、井上馨、大村益次郎であった。
撫育局員=長州志士である(!)
この「特別会計」制度は現代にも続いている。
「撫育局員」=木戸孝允、高杉晋作ら維新の志士たちである。
§2.イギリス外交
1866年4月26日、イギリスの外務次官ハモンド(極東政策の現場のトップ)から駐日公使ハリー・パークスに宛てた通信の一節がコレ。
「日本において体制の変化がおきるとすれば、それは日本人だけから端を発しているように見えなければならない。事実、その変化は我々の考え方と異なる仕方でおきるかもしれないが、それが実に真に恒久的なものであり、且つ有益なものであるためには、徹頭徹尾、日本的性格と言う特徴を帯びていなければならない」
一方、
「イギリス政府が日本において求めているのは政治的影響力ではなく、ただ貿易の発展だけである。いかなる内乱の場合にもイギリスの政策は中立を保持すること」
と厳命。
最初のだけを見て、「倒幕=イギリス陰謀論」と言う言説が出てくるが、大事なのは次のほう。イギリスにとっては実は日本の内政など「どうでもよく」、大事なのは貿易をするかどうかであった。
むしろ、当時、インドや清を植民地にして搾取し支持率低下を招き、さらに、独立戦争、アヘン戦争を経て財政難にも陥っていたので、 イギリスが関与しているような印象をもたれることを避けた。
また、「イギリス=薩長、フランス=幕府」という構図もちょっと違う。
フランス公使のロッシュが幕府陸軍教練のためにフランス陸軍教官を呼ぶと、イギリス公司パークスは対抗して海軍教官を呼んだが、この時点ではあくまでも幕府側である。
ロッシュはロラン夫人を大叔母にもつ富豪の息子で、フランス革命で活躍したジロンド派の指導者の1人。アルジェリア侵攻の際はアルジェリア側で活躍。熱血漢でロマンチスト。対してパークスは幼くして両親を亡くし、13歳で清に渡り、アヘン戦争にも深く関与。投獄されたこともある叩き上げで、砲艦外交を基本とする恫喝型。
しかし、なぜ鹿児島に訪問したのか?
これには、イギリス駐日通訳官「アーネスト・サトウ」の存在がある。(※サトウ≠佐藤。スラブ系の姓)
彼はジャパン・タイムズに『英国策論』というコラムを書き、日本の元首は天皇で、将軍が貿易を独占しているのは不当、と主張した。
この日本語版は各藩にも伝えられ、各藩はいずれもパークスらと話をする時に関しては、「討幕」ではなく「自由貿易を望む」ことを話して安心させている。一方、サトウは薩長の討幕意思を把握しており、応援することに決めた。
この時点で、英国外交は幕府尊重(パークスら)と討幕派(アーネストサトウ)の2つの流れができていた。
薩長の討幕派がサトウのもとに集まってきたのは、サトウの英国策論が彼らの念願に適っていたからであろう。もっとも、それにより英国(国際金融家)のエージェントになる。
※ちなみに、フランスもクリミア戦争などで財政は逼迫しており、大坂城から逃げてきた慶喜に対して「フランス軍を貸すから戦え、ただし、これまでの借財を清算しろ」と言ったが断られている。
アーネスト・サトウ
「外国人が日本を統治することはさして難しくないが、そのためには日本語を話さなくてはならない。そんなことをするよりは、侍階級がいるわけだから、統治するのは侍階級に任せて、イギリスは侍階級だけを統治すれば日本を掌握できる」
一方、アーネスト・サトウは侍階級を支配することで、日本の貿易をコントロールすることができると考えた。
サトウが応援したのが薩長の討幕派である。
§3.外国商社
【トーマス・グラバー】
武器商人。イギリス本国の幕府支持とはまったく逆の反政府勢力であった薩長を、特に薩摩を強力にバックアップした。
もっとも幕府側の発注も受けていたので抜け目ない。
しかし、大坂城で慶喜が逃亡したのは想定外。武器を仕入れすぎために、グラバー商会は1870年に倒産(!)。
【ジャーディン・マセソン商会】
前身は東インド会社。現在もバミューダ島(タックスヘイブンがある)に本社を置く、世界最大級のグループ企業。長州ファイブの英国行きなどは彼らが担当。
【英国政府】
※英国は、戦争は短期に終わらせて日本を開港させて貿易をしたいので、パークスを通じて西郷隆盛に戦争を長引かせるなと伝えていた。
幕府からの発注を受ける一方で、薩長に武器を売った。
(幕府の発注はわざと遅らせるなども行う。)
§4.銀行
銀行にとって大事なことは、
「正しい時、正しい場所に、正しいものがある」
ということで、この場合、
「戦争が起こった時、その国に、外資系の銀行がある」
ということだ。通商条約を結んでから彼ら銀行は日本が戦争を仕掛ける時を待っていた。
戦争が起きた瞬間、当事国の通貨が暴落する。そして、他の国の通貨を使わなければ銃一本買えなくなる。(※ちなみにこの時期、欧州各国はどこも戦争をしており、メキシコ・ドルが使用されている)
「国際通貨」の発行権を握る中央銀行は、これに利子を加えることで莫大な利益を得ることが出来るが、この「中央銀行」を支配していたのがロスチャイルド家である。
彼らは1815年のワーテルローの戦いで巨利を得て、イギリス中央銀行もほぼ100%手中にしていた。
♨このあたりは馬淵先生の書籍にも詳しい。知らないといけないことだが、日本銀句であれ、中央銀行は国のものではない。【コチラ】
長州ファイブ、薩摩の留学生、そして幕府の留学生を支援していたのではイギリス政府でもフランス政府でもなく、彼ら国際金融家。
イギリス政府は何度も戦争を避けようとしていたが、イギリスの陰の支配者である国際金融家たちは戦争を望んでいた。そのため、別系統で支持を出し、イギリス政府を出し抜き、幕末維新を操作していたのである。
イギリス側=イギリス政府ではなく、=国際金融家と見ると一連の謎が解けてくる。
戦争がしたい志士たち(そもそも攘夷)、戦争を起こしたい国際金融家、これらは早い段階で結びついており、外国人斬り付け、その後の公使館焼打ちなどはそのための布石と見るべきであろう。
奇兵隊もロスチャイルド家の傭兵たちが訓練したのに違いない。
最終的に討幕されたが、権謀術においてははるかに相手の方が上。明治維新は彼ら志士たちが想像していたようにはならなかった。
彼らと維新の志士たちは早くから結びついていたと考えられる。
「イギリス側」=「イギリス政府」ではない。「国際金融家」と考えると一連の謎が解ける。
§5.明治維新から150年
【坂本竜馬】
司馬史観によって、良いイメージが定着してしたが、グラバーと薩長の「つなぎ役」をしたのが彼である。
殺された理由はグラバーを最後、裏切ったからであろう。というのは、竜馬は大政奉還により内戦を阻止しようとしたから。
大政奉還と、偽の討幕密勅は同じ日であり、大政奉還が1日でも遅れていたら薩長は兵を挙げることができた。
大政奉還により、薩長もグラバーも激怒し、裏切り者探しが行わて殺された、と見る。竜馬の死は「謎」ではなく、裏切りの理由が新政府の禁忌に触れてしまうために、言論統制されていたのであろう。
そして今
日本人は原爆を投下した者と、投下された者との区別すらつかないほど罪の意識を刷りこまれている。
メディアにしてもNHKの最初の放送はアイゼンハワー大統領の就任式、日本テレビ放送網を作った正力松太郎はCIAのエージェントであった。
長州閥は戦後も続く。
「重商主義」を唱えた坪井九右衛門の元姓は佐藤。この家系に岸信介、佐藤栄作、さらには吉田茂もいる。
吉田茂の養父、吉田健三は元マセソン商会横浜支店長で、妻は大久保利通の孫である。吉田の孫が麻生太郎。
池田勇人の妻は山尾庸三の孫娘で、この家系には児玉源太郎、木戸幸一らがいる。さらにたどれば鳩山一郎にも行き着くし、木戸孝允の妹も出てくる。
麻生太郎の妹は寬仁親王であり、これは明治天皇までたどりつく。
これが皇国日本の本当の姿である。明治維新はまだ終わっていない。
提言
日本人自らの手によって作った幕府、外国人の手を借りて倒した薩長。明治はそんな薩長の手によってスタートした。
江戸時代と明治の違いは、鎖国を解いたことではなく、国際金融家たちの金融制度を日本国として採用したことにある。
この制度の問題点は格差を生み出すことでもあり、今のアメリカはそうなっている。日本もそれに向かっているが、このままでいいのだろうか?
一部の特権階級と一部の外国人だけが幸せになる資本主義を拒否して、「本当の維新」、「本当の民主主義」(※資本主義ではない)を実現しよう。
これが現在の日本の姿であり、日本人によって成立した江戸幕府との違いでもある。
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