こんにちは。
今回ご紹介しますのは、「日本人は日本人をどう見てきたか」(2015年)です。
以前は「尊王論」の始まりは「宝暦事件」かと思っていましたが、とんでもありませんでした。
まず、一般論としまして、現代人であっても日常生活では「自分が日本人」だと意識する機会は少ないのではないでしょう。
しかし、外交の問題が生じたときや、震災や事故などが生じたときに自分が「日本人」であることを意識することでしょう。
そうした思いは、江戸時代前期にはハッキリ見られている、というのが本書。
代表的な人物としては、
垂加神道の山崎闇斎(1619~1682)、
(「朱子学」と「神道」を結びつけた、会津藩を指導)。
近松門左衛門(1653~1724)と組んで義太夫節の祖となった竹本義太夫(1651~1714)、
(農民出身ですが、彼が最初にやった浄瑠璃は「神武天皇東征の物語」)
のちにゴロウニンの世話をすることになる村上貞助、
(ゴロウニンと文明論を語る過程で「歴代天皇を覚えることなんて普通の日本人なら当然」と言う)
などなどです。
「尊王論」、「国学」、「水戸学」というものは幕末に突然沸き起こったわけではなく、最初から日本人の中に「あった」と考えたほうが妥当と思いました。
山鹿素行にも注目
さらに注目すべきは、儒学者の山鹿素行(1622~1685、古学派、および山鹿流流兵法の祖)です。
長らく中国が文明において「華」、日本が「夷」と考えられてきたと思っていましたが、
山鹿素行は
ということを主張するのです。(「中朝事実」(1669))
理由としては、中国は王朝がコロコロ変わって家臣が君主を殺すことが何度もあることに対して、日本は「万世一系」、天皇家が続いているというのです。
現在でも同じ論者はおりますが、350年前にこうした主張をする人がいた、ということは案外、現在と当時、そんなに変わっていないのかも知れませんね。
山鹿素行(やまがそこう)、覚えておきましょう。
なんせ、日本橋から品川に引っ越した時、「唐に二里近い」と答えたっていう話もありますしね。
山鹿素行は赤穂藩ともつながりがあるのですが、荻生徂徠は赤穂浪士を切腹させたんですね。「儒学者」にもいろいろあることを覚えてください。
「日本はもともと直き心を持っていたが、漢意(からごころ)により汚された、よって、以前に戻さねば。」
となるんじゃがな。
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