こんにちは。
今回ご紹介しますのは、「4代将軍家綱、5代将軍綱吉」についてです。
『TOKUGAWA15』(堀口茉純、2011年)を参考にさせて頂きました。
家綱就任(1651)から綱吉死亡まで(1709)は58年間。
家綱にしても、その弟である綱吉も仲良く就任29年と長期政権でした。
(一般的にはほぼ無名の家綱も29年というのはちょっと意外ですね。)
大陸では明から清へ交代して安定に向かう時代でもあり、日本も安定へと向かう時代であることもポイントです。
4代:家綱…イエスマン将軍
1641 | 誕生。 虚弱体質でとにかく過保護に育てられた。家光38歳時の児。 知的障害もあったようで、幕政に参加することはほぼ不可能。 (♨数々の逸話を見ると、知的障害説に疑問符。) |
1642 | 寛永の大飢饉。 |
1643 | 世子待遇決定。 |
1644 | 綱重誕生。当時4歳。 |
1646 | 綱吉誕生。当時6歳。 |
1651 | 家光死亡。将軍就任。11歳。 由比正雪の乱。末期養子の禁緩和。 (※末期養子を認めずに取り潰しを増やすと、浪人が増えて治安が乱れるため) |
1653 | 酒井忠清の台頭。 |
1657 | 明暦の大火。(※江戸の町60%が焼ける。) 17歳で結婚。 |
1659 | 本丸復興。天守は再建せず。 (♨保科正之の意向で「必要ない」と。) |
1662 | 松平信綱(67歳)、酒井忠勝(76歳)死亡。 |
1663 | 武家諸法度で殉死の禁止。 |
1666 | 酒井忠清、大老就任。 |
1669 | シャクシャインの乱。 |
1680 | 心不全で死亡。40歳。徳川宗家の血統は途絶える。 |
★家光の長子である家綱の就任期間は意外と長く、29年にも及ぶ。この時代、「下馬将軍」酒井忠清が台頭するが、綱吉就任後に失脚。(※酒井のお膝元・前橋市では「下馬将軍」というせんべいが売られていた。)
★由比正雪の乱で文治政治へと転換。【コチラ】
★1657年の「明暦の大火」で江戸城も被害を受けたが、本丸は再建されなかった。理由は「もう戦の世じゃないから」」。それくらい徳川幕府が安定していた。(※明暦の大火の翌日に新井白石出生。)
★戦乱は思わぬところで起きた。蝦夷で、1669年、シャクシャインの乱。(※コシャマインの戦(1457)と混同しやすいが、「社員は江戸」で覚えた。)
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