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☞【臆病者は東寺の塔でも見学しておれ!】『幕末維新に学ぶ現在』(山内昌之、2010年)

こんにちは。

今回ご紹介しますのは、『幕末維新に学ぶ現在』(山内昌之、2010年、中公新書)です。

個人的にはこういう人物評は好きですねー。

マイナーだけどインパクトのある人を扱っている点も良かったです。

作者は歴史学者の山内昌之先生(ご専門は中東)で、続編もアリます。

以下、いくつかピックアップさせていただきます。

★真木和泉、来島又兵衛

「蛤御門の変」で彼らが出陣した際の年齢は、それぞれ52歳と48歳でした。

来島に至っては反対した高杉を面罵し、慎重だった久坂をひきずるように連れて行き、御所攻撃に尻込みする久坂を

臆病者は東寺の塔か天王山でも見物しておれ」

と怒鳴る、なじるなど。

当時、50歳とはだいぶ年長者ですが、

2人は、

「若者を超えた老人」。

と賛美(?)。

銀魂で出てくる「来島マタ子」は高杉に臣従する役柄ですが、

本家・来島又兵衛は正反対ですね。

大河ドラマ「西郷どん」で長州力が来島又兵衛役をやりましたが、

まさに適役だったと思います。

来島は川路利良(のちの警視総監)に胸部を狙撃されたのち自刃します。

→【幕末の英傑で打線を組んだ

★安藤信正

安藤信正は「坂下門外の変」で「背中を斬られた」ことで失脚しました。

「背中を切られた」ことは「相手に背を向けた」ことですので、「武士にあるまじき」という理由なんですね。

安藤は、「彦根藩の処置」、「公武合体の実現」、「ヒュースケン殺害事件の円満処理」、「金の流出阻止」などの場面で冷静な処理を行ったことで政局を安定させていただけに、

背中を斬られただけで失脚したのは幕府にとってはあまりに痛手

でした。

既に役目を終えた目付、大目付らが退陣要求したといいますが、

武士道」の悪いところでもありますね。

★徳川家斉

慶喜パパですね。

家斉を英雄視する書籍もありますが、

幕府の機密情報をせっせと朝廷に流す政治顧問

はいかがなものかと断罪。

政治顧問的な役割をしていましたが、

「外に置くとうるさいので、阿部正弘は中で飼いならそうとした」とも言われますし、

「単純な攘夷論者」と言われることもあります。

★山内容堂

土佐藩主。別名「鯨海酔候」。

「小御所会議」で熱弁をふるったとされますが、

会議に泥酔状態で遅参した

今なら懲罰モノでしょうが。

とにかく大酒飲みで、維新後も豪遊したことが知られています。

★岩倉具視

「征韓論」で西郷の剣幕に三条実美らが失神するなどの中、

岩倉は全くたじろがなかった

ことを賛美しております。

彼の肝の座り方は尋常ではないですよね。

→【幕末の英傑で打線を組んだ

★小笠原長行

小笠原長行を知っているかどうかで維新通かどうかわかる、と個人的には思います。

彼のアイデアである「卒兵入京」(1863年)とは、

水野忠徳、井上清直ら洋装の精兵1600人で大坂から入京し、強硬手段で家茂(拉致に近い状態)を江戸に連れ戻そうとしたアイデアです。

在京中の老中、若年寄、一会桑グループらの反対で淀まで行ったのに止められてしまいましたが、

もし実現できていたらどう展開していたでしょうか。

幕末の1つのターニングポイントだったと思います。

小笠原長行は、老中時代に生麦事件を英断で解決したことでも知られています。

辞世の句は「夢よ夢 夢てふ夢は夢の夢 浮世は夢の 夢ならぬ夢」 。

★児玉源太郎

「幕末維新」という括りにいれて良いのかわかりませんが、

「函館戦争」を経験しているので良いのでしょう。

日露戦争直前、「内務大臣・台湾総督」の役職に就いておりましたが、

参謀次長が急死したことを受けて、参謀次長に立候補しました。

これは、降格にあたるんですね…。

しかし、国家の危機に際してそれを実現できるところがすごい、と絶賛されております。

「児玉がいる限り日露戦争で日本は負けない」

メッケル(軍事顧問:ドイツ)

→【幕末の英傑で打線を組んだ

★立見尚文

この方のことを全然知らなかったのですが、

歴史家のアンケートの中で、「日本史史上最強の指揮官」の称号を得たそうです。

ニューヨーク・ヘラルド紙も、「日本随一の戦術家」と褒め称えております。

彼は「桑名藩」という旧幕府軍出身でありながら、

飛び地である柏崎における戊辰戦争で負け知らず。

そのため薩長勢からも一目置かれ、山県有朋ですら彼に頭が上がらなかったとか。

さらには明治維新軍となっても西南戦争、日清戦争、日露戦争で負け知らず。

カッコいいですねー。

→【幕末の英傑で打線を組んだ

★井伊直弼

何かと誤解を受けやすい井伊直弼ですが、

そもそも彼は国学者をブレーンとしておりまして、

開国は本意でありませんでした。

その後の経緯は省略いたしますが、

もし彼が

朝廷に対して大攘夷を説くなどの政治的なセンスがあればもっとうまくいったのではないか

と書かれております。

さらに、一橋派であることを理由に岩瀬忠震や川路聖獏ら有能な幕閣の力を生かせなかったこと、

安政の大獄で橋本左内のように優秀な人材を葬ったこと

もどうかと思う、とのこと。

ちなみに、井伊直弼は、茶、歌、鼓でよく遊んだことから「ちゃかぽん」と呼ばれておりました。

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★世良修蔵

星亮一先生の「戊辰戦争」でも書きましたが、

幕末最大のアンチヒーロー

です。

ここでは書けないほど敵の殺し方が残忍でしたしね。

戊辰戦争で彼のことを良く言う人はいないでしょう。

★前田慶寧

京都に近く、さらに百万石を有するという利点を得ながら、それを全く生かせなかったと酷評。

長州びいきであったため、禁門の変で長州と戦わずに去ったことも問題視。

コチラも:加賀藩失敗の理由が書かれた幕末雄藩列伝

結果的に加賀藩は新政府において、ほとんど影響力を持つことができなかったのですが、

西南戦争で西郷隆盛の首をとった人物、

紀尾井坂の変で大久保利通の首をとった人物

は加賀藩出身の友人どうしであり、

殿様は駄目でも、下級武士たちが一矢報いた形になりました。

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★堀田正睦

阿部正弘の後に老中となったのが堀田正睦です。

徳川斉昭を飼いならそうとした阿部正弘とは異なり、斉昭と決裂しました。

川路聖謨、岩瀬忠震らを世に出したことは功績ですが、

許勅を得るために自ら向かわなかったのもが最大の失敗でしょうか。

これについては、

「空気の変化を読めず」

としております。

ちなみにフヴォストフ事件の時から有事の際に朝廷に伺いを立てることが定例になっておりましたので、

朝廷に相談に行ったこと自体は堀田正睦の責任ではないでしょう。

★松平春嶽

福地桜痴という明治時代のジャーナリストによれば、

「藩主であれば良主か英主かも知れないが、一国を動かす政治家としては格別に称賛できる価値を見いだせない」

と、手厳しい評価。

と言いますのも、

あまりにも世間に媚びることが多かったこと、

外交功績の大きかった安藤信正を罰したこと、

生麦事件で下手人を出さなかったこと、

参勤交代を緩めたこと、

松平容保を見捨てたこと、

などなど。これら全てがマイナス評価となっております。

しかし近年は、学参漫画の人物伝に選ばれる「謎の出世?」を遂げているので、不思議なものですね。

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