こんにちは。
ひきつづき、「満州事変」についてです。
満州事変の経過
柳条湖事件は関東軍が中国人の仕業に見せた列車爆破事件(実際、爆破したレールはごくわずか)。これを理由に関東軍が満州制圧に向けて出陣。
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1931.12.10 リットン調査団派遣決定 【国際連盟】
日中間で解決したかったのですが、中国さんはそう思っていないようで…
処分は国際連盟に委ねます。
しかし、なんで私が首相の時って、こうトラブルが起こるのでしょうか。
え?じゃあなんで、「不拡大方針」を宣言しながら経費支弁はあっさり認めているのか、って?
そりゃ、飢え死にしたら可哀想じゃないですか。
10月8日の錦州爆撃はちょっと派手すぎじゃないでしょうかね。
若槻内閣は表向きは「不拡大」方針を告げますが、その割には経費支弁を認めたり・・・。蒋介石が国際世論に訴えたこともありますが、最終的に日本は国際連盟を通じてリットン調査団に調査を依頼します。
(国際連盟が独断で調査したわけではありません。)
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1931.12.11 若槻禮次郎内閣総辞職(→13日~犬養毅内閣)【日本】
永田君もずいぶん動いてくれたようだね。
誰だ?失敗人事って言ったのは?
あ、海軍大臣の大角大臣のことかね?
なおも続く関東軍の進撃を止めるために民政党と政友会が手を取り合って向かう、という構想もあったのですが、若槻内閣は閣内の調整がつかずに総辞職となります。
(リットン調査団が嫌で総辞職したわけではありません。)
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1931.12.28 錦州進撃(→1/3 占領)【陸軍】
ここ、私の本拠地ね。
「錦州爆撃」などのちの原爆に比べたらどうだって言うんだ!というのはのちの石原莞爾。
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1932.1.28 第1次上海事変 【陸軍】【海軍】
海軍さんもご一緒に。
満州から目先をそらすために上海でも事変が起こります。のちに日中戦争では上海市民が激しく反日運動を起こしたのはこういう背景も。
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1932.2.29 リットン調査団活動開始 【国際連盟】
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1932.3.1 満州国建国発表 【陸軍】
私は2月に殺されます。
3月には三井の団琢磨さんが殺されました。
相手は「血盟団」です。
そして民衆は満州国を支持しています。
熱狂です。
犬養さん、あんたも危ないんじゃないの~?
血盟団事件などのテロが相次ぐ中、現役首相も暗殺されたのが「五一五事件」です。
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1932.5.15 犬養毅首相暗殺(→26日~斎藤実内閣へ)【日本】【陸軍】
って、あんたらは陸軍じゃなくって、海軍の青年将校かい?
え、学生さんは陸軍?
まあいい、ロンドン海軍軍縮条約に不満を持ってるって?
よく聞け。
その時、私は首相じゃないだろ!
それに、、、
って、話してもわからんか・・・。
「挙国一致内閣」と言いましょうか、
高橋是清大蔵大臣(政友会)
山本達雄内務大臣(民政党)
内田康哉外務大臣(外務省、貴族院)
荒木貞夫陸軍大臣
などが閣僚に名を連ねます。
内田外相って、「焦土演説」で有名ですかね。
ホントに焦土になったらどうすんだ、って思わずツッこみたくなりましたが。
紆余曲折を経て斎藤実(海軍出身)が首相となります。この内閣は「挙国一致内閣」となりました。「憲政の常道」と呼ばれる二大政党制はこれにて終焉。
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1932.9.15 日満議定書(満州国承認)【日本】【陸軍】
リットン調査団の報告書を待たずして満州国承認をしてしまう日本に対してリットンは烈火のごとく激怒しました。しかし、その報告書内容は日本にとっても納得のいく範囲のものでした。
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1932.10.1 リットン報告書 【国際連盟】
しかし、最終的に国際連盟を脱退するわけですが、それには特に治安の悪い熱河地域への進出が決定されていたからなのです。
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1933.2.22 熱河作戦 【陸軍】【日本】
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1933.2.24 国際連盟総会 【日本】【国際連盟】
居座ればよいですよ。
聞いてますか~?
松岡洋右は青ざめた顔で帰国しますが、国民に熱烈な歓迎を受けました。
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1933.3.27 国際連盟脱退 【日本】【国際連盟】
民衆もこれを支持してしまっていることもポイントです。
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1933.5.31 塘沽休戦協定 【日本】【陸軍】
でも、現地で守っている方としては日本政府の方針じゃ、心もとないんですよ。
大陸と島国の違いなのかも知れませんが。
1929年の奉ソ戦で、よりソ連軍を脅威に思いました。【コチラも】
しかし、中華民国が清の版図を引き継いでいることは国際的に承認されております(1913年)。
ですので、満州は「満州人のもの」ではなく、「中華民国の一部」です。
「日本の非を言うならばペルリを呼んでこい」(石原莞爾)
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だいたい錦州爆撃などドイツ軍のロンドン爆撃、アメリカ軍の日本爆撃に比べたら大したことしていないではないか。
欧米中心の歴史を学ぶと、満州事変は「とんでもないこと」と先入観がついて最初から否定してしまうかと思いますが、満州を守る軍人さんたちは軍人さんたちで必死だったのでしょう。
(治安も悪いし・・・)
もし「五族協和」を理念とする満州国が中国東北部にできていたとしたら、もしかすると現在の国際状況は今より良かったのかも知れない・・・のかどうなのか。
「満州事変」をテーマにしたアニメができれば必ず見ます。