~只今、全面改訂中~

§1.維新の先駆者徳川慶喜

【徳川慶喜(1837-1913)】…1837年、徳川斉昭の七男として出生。斉昭の教育方針で江戸の華美な風俗に馴染まぬよう、生後7か月で水戸に移り、1847年までの9年間を過ごす。その後、老中阿部正弘に英邁さを買われ一橋家を相続。時代は1846年にビッドルが来日して開国要求を受けた動乱期であった。

会沢正志斎(1782-1863)】…水戸学の権威で、水戸藩校弘道館で学問・武術を教える。徳川斉昭の師匠。1824年、イギリス捕鯨船員12人が薪水、食糧を求めて水戸藩に上陸した騒動を見て、海防の必要性を感じ、著書『新書』で尊王攘夷論を訴える。「西洋人が攻めてくるかどうかは西洋人が決めることであり、攻めてこないと踏んで安逸に非武装のまま過ごしてはいけない。これからは日本人として一致団結しないといけない。さもなければ私欲のために西洋人の仲間となり我が国を混乱に陥れる輩が出てくるであろう。」現代にも通じる言葉である。

藤田東湖(1806-1855)…徳川斉昭に抜擢され、藩の農政改革を行う。越前藩の橋本左内を抜擢するなど人材発掘にも優れるも1855年、安政の大地震で圧死(※)。以後、水戸藩は迷走。

※お母さんを助けようとして下敷きになった。

1846年ビッドルが来日

交易を要求するも、老中阿部正弘が鎖国を理由に追い返した。

しかし、1846年の米墨戦争でカリフォルニアを手にしたアメリカは、いよいよ対日政策に本腰を入れる。

老中阿部正弘が今後の対応策について広く意見を求めた結果、徳川斉昭の意見が採用される。

同時に、将軍宗家の後継候補として、幼くして英邁であった慶喜が一橋家を相続した。