~只今、全面改訂中~

2代:秀忠…ストレス将軍

1579 誕生。兄、信康切腹。
1580 同母弟、忠吉誕生。
(※活発な性格。のち関ヶ原での戦の傷がもとで死亡。享年28。)
1582 本能寺の変
1583 世子内定。5歳
1584 小牧長久手の戦い。

異母兄・秀康、羽柴秀吉に養子に出される。
(※秀康は築山殿の侍女の子。勇猛であったが家康から遠ざけられていた。)
1590 秀吉に養子に出され元服させ、秀吉は「秀」の字を与えて返す。領地替えに伴い関東へ。織田信雄娘、小姫(6歳)と結婚もすぐ離婚。

※少年期、暴れ牛が隣の部屋に入ってきても静かに読書を続けるたこともあり秀吉に気に入られる。
1592 文禄の役
1595 浅井長政娘、淀君妹のお江(23歳)と再婚。17歳

(※お江、最初の結婚は12歳で尾張の名門、佐治一成。しかし、政治的な問題のため1年で離婚。2回目は20歳で秀吉の甥、秀勝と結婚。しかし、朝鮮で病死し死別。3回目の結婚。)
1597 長女・千姫誕生。
慶長の役。
1600 関ヶ原の戦いに大遅刻

※真田親子が2500の兵で守る上田城を38000の大軍で落とせず家康の怒りを買う。

世子の座決定。22歳。

大久保忠隣「乱世にあっては忠吉がふさわしいが、天下をおさめるには秀忠こそふさわしい」と家康に進言。

♨すげー先見の明だ、大久保忠隣。
1601 長男長丸誕生も翌年死亡。母は侍女。
1602 生瀬の乱
1603 江戸幕府開幕。

千姫(7歳)が秀頼(11歳)と結婚。
(※夫婦仲は良かった。大坂城落城の時、命からがら救い出される。)
1604 竹千代(のちの家光)誕生。
1605 2代将軍就任。27歳。

駿府に基盤をもつ大御所派、江戸に基盤をもつ秀忠派に分かれる
(※大御所派…本多正信正純親子ら、秀忠派…大久保忠隣ら。)
1606 国松(のちの忠長)誕生。
1607 弟・忠吉死亡、兄・秀康死亡。
1609 オランダとの貿易開始(平戸に商館)
1610 名古屋城築城(西側への圧力)
1611 4男・幸松丸誕生。のちの保科正之。
1613 慶長遣欧使節団派遣。全国に禁教令。
1614 付家老・大久保忠隣改易。方広寺事件。
大坂冬の陣
(※今度は遅刻しまいと猛ダッシュ。5万の大軍が静岡についた時点で34騎しかいなかった。

♨猛ダッシュ、すごすぎる…。ネタとしては最高。
1615 大坂夏の陣。一国一城令。武家諸法度。禁中並公家諸法度。
1616 家康死亡。
(※以降の統治は抜群の政治感覚をもってあたり徳川政権を盤石なものにした。

異母弟・松平忠輝改易。
(※6男・忠輝は長男信康に似ていたとも。家康から遠ざけられる。最終的には92歳まで生きた。)

38歳
1620 5女・和子(14歳)入内。
(※幕府からの財政援助で宮廷文化が花開く。
1622 元和の大殉教

江戸城大改築。

本多正純改易
(※秀忠暗殺未遂事件とされる「宇都宮つり天井事件」。派閥抗争に終止符。)。
1623 将軍職を次男・家光(20歳)に譲る。45歳。
1629 紫衣事件。後水尾天皇退位。外孫、明正天皇即位。
(※幕府上位の朝幕関係が決定的に)

踏絵開始。51歳

♨秀忠といえば紫衣事件、というくらい。テスト的に有名。
1632 死亡。(54歳)

★「関ヶ原の戦」で遅刻した分、大坂の陣では猛ダッシュして、5万の大軍が静岡の時点で34騎になっていた。(ネタ過ぎる…)

★「乱世では忠吉、天下を治めるには秀忠」と言われたように、幼少時代は、暴れ牛が部屋に入ってきても読書を止めなかったほどの落ち着き。養子先の秀吉にはよくかわいがられたため、「秀」という名がある。

★出題されるとしたら「紫衣事件」。娘の入内と含め、朝廷に多大な影響を及ぼしていたことがわかる。抜群の政治感覚で徳川政権をより安定なものにしたことは、もっと評価されてもいいはずだ。