こんにちは。
今回ご紹介しますのは、鈴木荘一先生の「明治維新の正体」、読書メモ前篇です。
§0.はじめに
なぜ、水戸藩で発祥した尊王攘夷論が、長州藩へ移り、「倒幕」に結びついたのか?
「水戸学」…水戸藩第2代藩主徳川光圀が提唱。武力で勝ち上がった徳川家という私的権力の上に皇室を戴いて、徳川政権に公的国家論の息吹を吹き込み、恣意的な権力行使を自戒した。
…ただ、ここにおける「皇室」とは「南朝」のことです。
すでに存在しない南朝を頂きに置いているということは、「万民が平等」であるということでもある。
うーん…、この社会主義的思想にはちょっと疑問があるが…。
まあ、進めてみましょう。
まあ、進めてみましょう。
水戸藩第9代藩主徳川斉昭は、1846年7月、老中阿部正弘に、欧米列強に対して日本が独立を保つには外様大名も政権運営に参加させて全国諸藩が一致団結すべしとの考えを述べる。
この徳川斉昭の息子が徳川慶喜。
戊辰戦争は西郷隆盛ら武力倒幕派がイギリス型議会への移行を念願した徳川慶喜の大政奉還の意義を理解しなかったため生じた。
一般的には明治維新は内戦が少なかったため列強の植民地にされなかったと思われている。
しかし、薩長は武力倒幕を狙っていた。そして、内戦はなかったわけではない。
徳川慶喜へ低い評価を下すものもあるが、慶喜こそ日本の近代化の先鞭をつけた幕末における最高の政治家である。