~只今、全面改訂中~

☞【飛鳥時代①】「東アジア情勢に対して国内改革。推古天皇時代」

こんにちは。

今回ご紹介しますのは、「推古天皇」時代です。

歴史区分的に、推古天皇からが「飛鳥時代」と考えて良いでしょう。

一昔前は「聖徳太子の補佐を受けた」的な扱いでしたが、なにをいわんやです。

「実力・実績ともに申し分ない(さらに美貌)」と言われるようになったのが推古天皇です。

蘇我馬子と聖徳太子が仲が悪かった証拠はなく、推古天皇、蘇我馬子、聖徳太子が協力して政局に当たったと考えるのが妥当です。

wikipedia

第33代:推古天皇期(592年~628年)

【推古天皇】…即位時39歳。欽明天皇第3皇女。敏達天皇(第30代)の后でもある。
用明天皇(第31代)は同母兄弟で聖徳太子は甥にあたる。蘇我馬子の姪でもある

※第30代敏達天皇から推古天皇まで4代連続欽明天皇の子供。推古天皇は異母兄の敏達天皇と結婚しているが、当時は一夫多妻、血族婚も普通。

推古天皇は実力、実績申し分ない。

年表

592 推古天皇即位


「仏教を重んじよ!古来の神々の祭りも続けなさい!」

♨旦那が廃仏派だったからと言って、妻も廃仏派というわけではない。生まれの実家の方が強い
593 聖徳太子が推古天皇の摂政となる
600 隋が30万の大軍を送ったにも関わらず高句麗に敗れたタイミング(598年)で第1回遣隋使を派遣。

第1回と第2回の間に冠位十二階制(603年)、憲法17条(604年)を制定。文明国として最低限の政治・儀礼制度を整える。
602 新羅遠征計画(派兵中止)、観勒(百済)が暦法伝える
603 冠位十二階が制定される

(※世襲はナシ。 これにより鞍作鳥、秦河勝、小野妹子らが登用された。もっとも蘇我氏、王族、地方豪族は冠位授与の枠外で、蘇我馬子に至っては冠位を与える側。 )
604 十七条憲法が制定される

(※第2条の三宝とは「仏・法・僧」なり。 第14条では「他人を嫉妬してはいけない」などということまで書かれている。この頃から「議論をして物事を決めるように」とあるのが極めて日本的であるというが、これは逆にそれができていなかったことの証でもある。)

♨【原本史料を見ると世界が変わる。いないはずの「国司」の文字があるため、「十七条憲法偽作説」というのもアリ。コチラの書籍はオススメ。

♨ただ、「聖徳太子はいなかった」とするのは言い過ぎ。【コチラのblogは簡単でわかりやすい
607 小野妹子らが第2回遣隋使として派遣される。相手は煬帝。

(※冠位十二階のおかげで小野妹子のような地方出身で身分の低いものが登用できた。隋は高句麗征伐を控えていたため、「日出ずる…」と言われても何もできなかった。唐と対等外交を行うと言う前例を作った。翌年、裴世清なぜか頻出】という答礼使とともに帰国。)

法隆寺建立(※世界最古の木造建造物)
608 裴世清を国使として日本に。
帰国に際して小野妹子、高向玄理、南淵請安らが派遣(第3次遣隋使。旻は632年、高向玄理、南淵請安は640年まで滞在。)
610 曇徴(高句麗)が製紙法など伝える
614 第4次遣隋使として犬上御田鍬ら派遣
618 帝国建国

(※李淵。のち、突厥も滅ぼし、支配勢力拡大。)
620 『天皇記』『国記』『 臣連伴造国造百八十部并公民等本記 』編集

♨「臣連・・・」は精神的に覚えられない。【日本史のココがダメ:漢字と人名地獄

参照:天武天皇は「帝記」「旧辞」をもとに、「古事記」「日本書紀」を編纂。
622 聖徳太子死亡。49歳。
623新羅派兵
626 蘇我馬子死亡

玄武門の変で李世民が実権を握る(2代皇帝太宗)。

【李世民】…在626~649年。「貞観の治」を行う。玄武門の変は跡継ぎ争いでもあるが、兄の建成が仏教保護の立場であることに危機感を持った道教側が李世民を動かして皇太子建成の排除を図ったという側面もある。

628年全国統一、630年東突厥も服従。征服した北方や西域には都護府を置き、羈縻(きび)政策による間接統治を行った。吐蕃(チベット)のソンツェン=ガンポに対しては娘の文成公主を嫁がせて和親策をとり、遠くインドのヴァルダナ朝ハルシャ王が使節を派遣すると、唐からは王玄策を派遣した。東方の高句麗遠征には失敗したが、百済、新羅とは冊封関係を結んだ。

古代史講義/蘇我氏についてはコチラも

聖徳太子には兄がいた!そして兄が父になった!!
小野妹子は607年、608年と2度に及んで派遣。608年の時に一緒だった高向玄理、旻がのちに国博士となって大化の改新で活躍。

【必修】推古朝の渡来僧

観勒602年百済暦法を伝える
曇徴610年高句麗紙・墨・絵の具を伝える

♨「かんろ」→「だら」で覚える。

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日本に「紙」を伝えてくれた曇徴に感謝。

世界史的には「タラス河畔の戦い(751年)」により唐の捕虜が西方に製紙法を伝えたことが有名。

推古天皇の次はややマイナーですが、田村皇子こと「舒明天皇」です。