こんにちは。
今回ご紹介しますのは、「天皇と日本史」です。
「歴史街道」を時々読みますが、毎回すごーく読みごたえ有るんですよね…。
今回は2019年6月号を参考にしております。
【試験に役立ちそうなポイント】
★第46代天皇・孝謙天皇(女帝)は「称徳天皇」として再び天皇に就く(第48代)。道鏡を次期天皇に据えようとして一悶着起こしたが、称徳天皇は道鏡を「中継ぎ」と考えていたに過ぎない。(他者の理解が追いつかずに起きた結果が宇佐八幡神託事件。)
★「白村江の戦」は天智天皇が中央集権を狙うために唐の脅威を煽った可能性。
★「源実朝」は従来のイメージより強大な権力をもっていた。
★戦に強く、寄付も多かった足利義満の天皇簒奪計画には公家や寺社も賛成的だった。
以下、ダイジェストで。
通史(河合敦先生)
河合敦先生の解説は、毎回「これ以上わかりやすい解説はないんじゃないか?」と思います。
「長い日本の歴史で見ると、天皇が政治の実権を握っていた時期の方が少ないのです。」
という言葉にははっとさせられました。
古代(倉本一宏先生)
面白そうな書籍を多く出されている古代史の倉本一宏【コチラも】によれば、
推古天皇らと違って支持基盤が薄かった中大兄皇子は、
中央集権化を実現するために、「戦争(白村江)を利用した」という説を紹介。
戦後も「唐の脅威」を煽り王権を強化したといいます。
「さらに邪推すれば、中大兄は、中央集権化の障害となっている豪族たちを戦場に送り込むことで「邪魔者」を排除する意図をもっていたかもしれない。」
うーん、唸るような考察ですね。【コチラ:古代史講義戦乱篇も】
また、壬申の乱については、
大友皇子は母親の位が低く、皇位につけるとは思ってもみなかったことを取り上げ、
「最初から大海人皇子の勝利が決まっているような戦」だった
と喝破。
また、天智の病床で大海人が大王を辞退するくだりは、当時の風習からして当然だったとも書かれております。
平安・鎌倉時代(坂井孝一先生)
続いて、坂井孝一先生による平安・鎌倉時代です。
後白河天皇は、
なかなか「治天の君」とはなれず、誰がそれを実現してくれるか探し回っていた
とのことで、だいぶイメージが変わりました。
「承久の乱」については、目からウロコの連続で、
まず、後鳥羽上皇が政策転換をもたらした1205年の牧氏事件に言及。
これは、後鳥羽上皇の院近臣でもあった平賀朝雅を将軍にしようとした北条時政が、義時・政子に追放された事件で、(朝雅は殺害された。)
自分の部下が幕府に勝手に殺害されたことで警戒心を抱き、「西面の武士」創設につながったのではないか、と書かれています。
さらに、源実朝暗殺事件に関して、
<事件の黒幕として、北条義時や三浦義村の名が挙げられることもあるが、それはあり得ない。実朝の権力は、従来、考えられてきたより強く、また何よりも義時・義村ら首脳部は親王将軍構想に賛同していたからである。>
と。
実子のいない実朝の後継に後鳥羽の皇子がなることが決まりかけていましたが、
これに危機感を抱いた頼家の遺児・公卿の単独犯説を唱えております。
ここまで言い切られるとスゴイと思いました。
また、承久の乱で出した院宣はあくまでも「北条義時追放」にあります。
幕府はこれを情報操作して、「幕府vs朝廷」という構図を作り出したのです。
北条政子、義時が一枚上手でした。
大河ドラマ「鎌倉殿の13人」でそのあたりがどう描かれるのか、楽しみですね。
室町~江戸時代(今谷明先生)
さて、室町・戦国・江戸担当の今谷明先生にも唸りました。
皇統が途絶える可能性がもっとも高かったのは足利義満の時代であろうと紹介。
公家たちは反対していたのかと思いきや、
義満が戦にめっぽう強かったことと、戦争を避けるためにも上のものがより強くあって欲しいという公家や寺社の願い(+金銭)もあって、義満次男の義嗣の天皇即位計画は着々と進行していた
そうです。
当時の人たちは、そんな考えだったんですね。
つづいて、戦国時代。
織田信長が正親町天皇による「勅命講和」をとことん利用した話、秀吉も「惣無事令」を天皇の名のもとに命じていることなど紹介。
文禄・慶長の役では、天皇を北京に移すということが表明されたことと、
秀吉は渡航寸前までいきましたが、母親が死んだこと、および、
後陽成天皇が「お母さんが亡くなったばかりなので、海を渡ってはいけません」と秀吉の渡航を止めた
話は印象的でした。
関白である秀吉が海を渡らないということは、天皇も海を渡らないことなので、これにて北京遷都はなくなったのです。
また、今谷先生は正親町天皇の政治力や、官位叙任権、苗字改姓権、フヴォストフ事件で幕府が外交問題を朝廷に相談した件など、要所要所で天皇が重要な役割を果たしてきたことを引き合いに、
「後醍醐天皇から幕末の孝明天皇の間、歴史の教科書に天皇の名はほとんど出てこない。戦後の歴史学が天皇を必要以上に軽視していたからであろう。」
と警告しております。いやぁ、奥が深い。
女帝(遠山美都男先生)
そして最後は遠山美都男先生の「古代の女帝はなぜ誕生し、いかに封印されたのか」。
まず、推古天皇に関しては、これまで「聖徳太子が補佐した」的な扱いをされてきたが、何をいわんや、推古天皇は政治的な経験、実績とも申し分ない女帝、と評価。
2人目の女帝である皇極天皇は初めて生前譲位を断行したことを評価。
3人目の女帝である持統天皇は皇太子を制度化したことを評価。
このように女帝が要所要所でその後に影響を及ぼすような重要な決定を行ったことを評価しております。
通説では壬申の乱以降、天武の血統が尊重されたとされていますが、
<女帝たちは、天武の血統ではなく、敏達に始まる皇統の嫡流であった、天智の血統を護持しようとしたと考えた方が自然なのである。>
とのこと。
また、称徳天皇に関しては、道鏡を天皇にしようとしたのはあくまでも「中継ぎ」として考えていたに過ぎないという説も紹介。
ただ、これには周りの理解が追いつかなかったんですって。
女帝について考えると、今まで見えなかった歴史の側面が見えてくるといいます。
天皇と日本史を考える上でオススメの1冊でした。
歴史街道 2019年6月号【雑誌】価格:680円 (2019/5/29 07:00時点) |